「田中文科相に賛否両論」との表題が目に付いた。賛成だけ反対だけの人事はない。特に政治家の重要な役職しかも大臣となれば、賛否両論は当たり前、賛否がなければどうでもよい仕事のたいしたことのない人物ということだ。
これは賛否の否を強調せんがための表現で、就任早々否だけではまずいかなと、賛否としたに過ぎまい。暗に賛成派をも牽制している。勿論、記者の案に相違して良い仕事をすれば、手の平を返して持ち上げるだろう。
こうした報道の仕方には疑問を覚える。勿論、それが受けるのでそうした書き方が出てくるわけで、受け手にも問題はあろう。「どうせ変わらないすよ」あるいは、「期待できないねえ」と街頭インタビューに答える人が多い。よく考えた上であるいは調べた上での発言とは思えない。マスコミの作り出した口やかましいお騒がせの真紀子というイメージから短絡して出てくる言葉だと思える。
外相更迭の顛末を、きちんと検証すれば、彼女の一方的な落ち度ではないことがわかるだろう。皮相の一見奇矯な振る舞いだけを取り上げて、真相を深く掘り下げず、おもしろおかしくちょっと偉そうな人物を虚仮にして幕を引いてしまっては、本当の問題点が見えなくなってしまう。
何度も書いてきたが記者は初心を忘れず、先輩を反面教師として、既得権に抗い、庶民の眼を覚まさせる叡智のペンを奮って欲しいと診察室からお願いする。