駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

書斎の一時

2010年04月24日 | 身辺記
 夜、書斎で本を閉じ、眠気がさすまで音楽を聴きながらボーとするのがこの数年の日課になった。若い時はただ横になれば眠れ、翌朝は疲れが取れた。もう綿のように眠ることができなくなって久しい。
 例えば村上ゆきを聞きながら、時には河合優子のショパンを聴きながら、机の上の時計を眺め、本棚の蔵書の背表紙を眺め、思い浮かぶまま考えることなしに連想に遊んでいると、だんだん巻かれた捻子が緩んでゆき、眠気が訪れる。
 これが見知らぬ老いの訪れなのかも知れないが、驚き恐れることはなくなった。古参兵も前に進むだけ、新しいことにも挑戦する、行き止まりなぞないと思いなしている。
 昨晩も高血圧の新薬の講演会でYと話した。彼はIT乗り遅れ組で、一年前電子カルテを導入したのだが、私の助言に逆らい複雑機種を購入、いまだ使いこなせないでいる。
「どうしてる」。
「だんだんさ」。
「変えたら」。
「いや、俺はこれでいいんだ」。と天の邪鬼なことを言っている。
「辞めるまでにできればいいんだ」。
「ほー、いつまで」。
「70だ」。
「頑張るね」。
「お前は」。
「俺か、俺はそんなに・・69だ」。
「なんだ、変わんないじゃないじゃないか」と背中をどつかれた。
 もはやテイストオブハニーはないかも知れないが、テイストオブセピアを楽しむことができる。
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騙されない自信が

2010年04月23日 | 小験
 自分は振り込め詐欺やネズミ講(無限連鎖講)に騙されない自信を持っていた。しかしここに来てその自信は揺らいでいる。
 まだと呆れられるだろうが鳩山首相は有言実行の人で今に決断力と実行力を現すに違いないと見切らず引っ張ってきたのに、なんだかどうも結局は騙されたのではないかと気付き始めたからだ。
 その言葉は瓢箪で鯰を捕らえるごとく定まらず、その言葉は部屋の隅の綿埃のように軽い。こうして五月末に普天間基地移設問題が決着せず、言葉だけが空を切るようでは、鳩山首相は希代の詐欺師として政治史に名を残すだろう。
 そこそこ人を診る目があるように秘かに自負していた町医者も、我が目は節穴だったかと自嘲しなければならない。例外のないルールはない、お坊ちゃんでもやれる人はやれると思っていたのだが、宇宙人が相手では勝手が違ったか。
 ちなみに最高の詐欺術を明らかにしておきたい。それはどのように上手く騙すかというテクニックにあるのではない。自分も騙されて信じている憑依状態こそ、最高の詐欺師力を発揮する術なのだ。
 この内閣のもう一つの実験的側面は理系内閣であったこと、どうもそれも上手く機能しないようで、陳腐な結論だが、政治は科学でないということになりそうだ。
 未練たらしく書いてしまうのだが、惚け爺の深情けか、未だ一縷の望みを捨てきれない。
 ところで岡田ジャパンの方はどうか。二人に裏切られるのは辛いところがある。
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今日も雨、それに風

2010年04月22日 | 身辺記
 今日も雨だ。しかも冷たく風が強い。嫌だなあと傘を差して歩き始めると、風向きがいつもと違う。慌てて向きを変えるが、少しズボンを濡らしてしまう。風が吹けば殆ど西風なので左横に傘を傾ける癖が付いている。何だ今日はと思いながら、ふと世の中の風向きも安定しないなと思った。ひょっとしたら気候変動から社会変動が起きているのではないかと考えた。
 まあ、沖縄方面のあやふやは天候には関係なく人為的なものだろうし、自民党のコップの中の嵐は政界の風向きを読み過ぎる燕雀の引き起こしたものだろうが。
 とにかく風付きの雨は駅まで十五分歩く人間には大いに困る天候だ。一張羅ではなく普段着なので多少濡れてもよいが前が見にくく水溜まりを避けるので歩きにくい。いつもより五分ほど余裕を診て出発しなければならない。
 気のせいか電車の乗客も普段より無口のようだ。医院に着き傘を閉じてほっとする、大袈裟だが雨風を凌ぐ建物の有り難みを感じた。
 今日は患者さんも少ない、ブログが書けるくらいだから推して知るべし。
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吉村昭を読む

2010年04月21日 | 
 吉村昭のエッセイを立て続けに四冊読んだ。これからも寝しなに小旅行に読み返すだろう。それにまだ読んでいないエッセイ集もある。楽しみは後に取っておこう。
 どうしてもっと早く吉村昭に気付かなかったのだろう。たまたま手に取った作品が詰まらなかったのか、私が若過ぎたのか。
 勿論、やや硬いというか少し頑なな感じを受ける部分はあるが、それは小説家なので当然だろう。平凡な人には一冊は書けても、決して何十冊の小説は書けない。 
 彼は彼が書いた作品に出てくるような人なのだと強く感じた。そしていろいろこだわりがあっても畢竟、普通でまともな人だという印象が残る。
 長崎の女は危ないにニヤリ。
 戦艦武蔵を書く巡り合わせが凄い。斉藤十一という慧眼の怪物に驚く。
 些末なことかもしれないが、書いておきたいことがある。彼の経歴を見ていたら従四位とあった。四位とはなんだと非常に不愉快になった。彼が第一等の人間なのは明らかで、大体人に何位などという順位を付ける発想とは相容れない。簡明に優れた小説家でよいと思う。本当は優れた男子と言いたい。吉村さんも諒とされよう。
 
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平成人の忘れもの

2010年04月20日 | 町医者診言

 寛容と忍耐と聞いて懐かしいと感ずる方がどれくらい居るだろうか。古色蒼然と感じ、貝原益軒の言葉かと思われる方も居られるだろう。
 しかしこれはついこの間、中学生だった私にもはっきりと記憶がある昭和三十五年、池田勇人首相の打ち出した政治姿勢の言葉だ。
 あれから五十年、もう一度寛容と忍耐が求められていると強く感ずる。誰に、それは物事を為そうとする人達にだ。
 痴呆症、今は認知症というのだが、この疾患の中核症状は記憶障害で、それを診断する補助試験がいくつかある。これを疑わしい患者さんにではなく、政治家やマスコミ関係者にやってみたい。どんな結果が出るだろうか。勿論、じゃあ一般大衆はどうかと斬り返されるのは承知の上だ。
 人間は忘れっぽい、忘れなければ生きづらい面はあるのだが、過ぎれば即ち認知症のそしりは免れない。ついこの間の事も忘れ、軽薄な言辞を弄する政治家やマスコミ人がなんと多いことか。
 寛容と忍耐、心に深く響くこうした言葉に思い至った先達は偉い。先ず、町医者が今一度心に刻みたい。

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