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駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

 翻訳?

2010年03月16日 | 小考
 毎朝コーヒーを一杯飲む。最近はさぼってインスタントにしている。何と言っても簡単で、そこそこの味がする。残念ながら香りはもう二つだが。
 そのインスタントコーヒーですら、持ち運ぶ時こぼしてしまう。肘がドアにぶつかったのだ。もう何回ドジを踏んだだろうか。分かっていて?時々失敗する。それは慌て者というか無精というか粗忽の精神が治らないせいだろう。つまり両手に物を持ってドアを開けようとするからだ。鞄とコーヒーを持ってドアを開け足で一蹴り、十分開いたと思って身体を滑り込ませると、今朝は蹴りが不十分だったとみえ肘が触ってしまい、コーヒーをこぼしてしまった。
 床を拭きつつ覆水盆に返らずを思い出す。It is no use crying over split milk.の訳だと思った?が、これは元々のことわざかそれとも翻訳か、どちらだろう。それにしても翻訳としたら凄い人が居たものだ。可哀相たあ惚れたってことよという訳も思い浮かぶ。とても、今の人には思い付かない訳のような気がする。受験英語じゃあ、良い点は呉れないだろうな。思わぬ所で先達の凄さを思出す。
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今にわかる

2010年03月15日 | 身辺記
 いつ頃からか、昼食後往診に行くまでの間、昼寝をするようになった。きっかけは忘れたが、今では欠かせないものになっている。
 なぜか、そうすると身体が楽だからだ。気が付かないうちに体力が落ちているのだ。
 実は落ちたのは体力だけでなく脳力も落ちている。患者さんの名前を想起しにくくなった。ほらあの人と、いつも診ている患者さんの顔と病気は浮かんでくるのに名前が出てこず、事務看護婦にしょっちゅう尋ねている、情けないを通り越して恐ろしくなるほどだ。
 見た目は暦年令よりも若いらしく五、六歳若く見られることが多いのだが、中身はちゃんと年を取っている。年を取るとは、どんな感じかと聞かれれば、衰固乾乏帰懐と言ったところか、なあに今に分かると言っておこう。教授や親父が昨日聞いたことをまた聞くので、どうかしているなあと思っていたが、今では成る程こういうことだったんだとよくわかる。
 尤も、衰固乾乏帰懐は幸い今のところ穏やかに感ずる程度で、後期高齢者の患者さんのように辺りを憚ることなく、兆しているわけではない。
 そう強がっても、あれはこれだったのかと得心しつつ、不惑を過ぎて張り切っている病院の部長連中から疑問のまなざしを向けられると、なあに今に分かると嘯いている。
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我が身になると

2010年03月14日 | 身辺記
 はっきり記憶がないのだが何か熱い物を食べた時に、口の中を火傷したらしい。口内炎ができた。痛い。僅かなことだが、首から上の痛みは本当に煩わしい。気分が悪く、鬱陶しい。幸い今日は休みだから良いようなものの、明日は少しでも良くなっていて欲しい。
 高熱があったり吐き気がある人は本当につらいだろうな。いつも患者の気持ちを察っして診療しなければと心がけているつもりでも、風邪などだとつい軽い病気のように扱ってしまいがちで、反省している。
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尾辻さんに座布団

2010年03月13日 | 人物、男
 自民党参議院議員会長、尾辻秀久氏の面罵に座布団2枚を差し上げたい。
 3月11日の自民党安心社会研究会(会長与謝野馨)に現れた尾辻さん、会に招かれた東大大学院教授吉川洋氏に「どの面下げて出て来た、馬鹿者。曲学阿世はこいつのためにある言葉だ」と怒声を浴びせた。弱者切り捨ての社会保障費削減(2200億円)を提唱して尾辻氏と激しく対立してきた吉川洋氏重用に対する痛烈な抗議と思われる。
 常軌を逸してはいるが、自らの保身に走らず、面と向かって発言する勇気と弱者を守ろうとする尾辻氏の気概に拍手したい。
 尾辻を辞めさせないと参議院選には勝てないという与謝野氏に品位も風格もなく、病膏肓に入ったと申し上げねばなるまい。
 また、折角の寸劇を報道しない偏向新聞社に疑問を感じる、妻を説得して購読を止めようかと考えている。
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ミレニアム讃

2010年03月12日 | 
 美味しいものはあとに取っておく派であったのだが、ついにミレニアム3を読み始めてしまった。途中まで来て、読むのが止められないのに、なんだか読むのが惜しい心境になっている。これだけ面白い読み物は年に一冊あるかどうか。謎と謎解きに惹かれているので、たぶん何度も読み返して楽しむことは難しいだろう。
 そして遂に読み終えてしまった。時計を見上げれば午前一時四十分、まさに時が経つのを忘れていた。ミレニアムの面白さは語り尽くせないが、その芳醇で爽快な読後感が品質を保証していると申し上げたい。優れた展開を見せるミステリーもしばしば着地がもうひとつのことがある。しかるにスティーグラーソンの紡ぎだしたこの不朽の名作は着地も見事に決まっている。ミレニアムは、何時までも登場人物とスウエーデンの風物と共に私の心に残るだろう。どうもミステリーの舞台は霧のロンドンから多島海を望むストックホルムへ移ったかのようである。
 スティーグ亡き後、誰かそれからのリスベット・サランデルを書いてくれないものか。リスベット本人に頼みたいところだが、流石のリスベットも幽明を越えての侵入は無理かな。
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