駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

後味でわかる

2008年05月24日 | 身辺記
 独立開業を思い立った時、既に持ち家に住んでいたので、当院は職住分離である。持ち家は手狭で町はずれだったし、職住一致は何かと大変な面もあると聞いていたので、医院併設は賢明でないと判断した。不動産屋と相談、運良く人通りの多い駅前にまずまずの物件を見付けることが出来た。ちょっと離れていて移動に約30分掛かるが、まあいいだろうと決心した。東京では問題なくむしろ短い移動時間だろうが、地方都市では長い方かも知れない。しかしこの30分は頭と身体を仕事からプライベートに切り替えるのにちょうど良く、全く後悔していない。上が住居下が医院の友人は階段の登り降りでは頭が切り替わらず、夜はどうしてもアルコールに手が出ると言う。いずれにしろ飲むんだろうが、気持ちはよくわかる。最近はほとんどないが、十数年前は上に住んでいるのを知っている患者が、夜遅く玄関のチャイムをしつこく鳴らすことが結構あって閉口したとも言っていた。
 当院は医院を開けるのも閉めるのも院長である私の仕事になっている。鍵を開けてセキュリティをオンオフするだけのことだが、小さい儀式のように感じる。開ける時は、さあこれから仕事だという気持ちになるし、閉める時は又別種の趣がある。今日はよく働いた、脳梗塞の患者も首尾良く初期に病院に送れたしなどと言う時はなんとも清々しいし、行き違いから受付で捨てぜりふの患者がいたりどうも診断がはっきりしない症例があると、後味がすっきりしない。
 物事の評価は数値化して良い点悪い点を分析的にアプローチだけでは不十分な場合も多い。殊に自分がどうするかといった判断は数値化しにくい。戸締まりをして医院を閉めて帰るといったなんでもないことから、自らの営為に関する判断と評価の手がかりは後味にあると気付いた。
コメント
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