「もう棺桶に片足突っ込んでますから、はっはっは」。という爺さんが時々おられる。そうねえ、確かにと思いながら「いやまだ、そんな」。とお答えしている。こういうことを言われる方は実はまだまだ体力知力気力に自信をお持ちで、弱ってきたと言うより、片足以外はまだまだ元気だぞというメッセージなのだ。
医者から見ると、この片足というのはあまり正確ではない。残りの部分が健全のように聞こえるからだ。命尽きるのはやはり蝋燭の火が消えていくようにという方が実態に近いように思う。部分でなく全体が少しづつ衰弱してゆくのが、黄泉への道程に見える。脳死か心停止死かが騒がれたことがあったが、畳の上の大往生では問題にならない。どちらももう向こう岸に着いているのだ。十万億土は絶対の音信不通、不可逆の距離を表現しているようだが、実際の道のりを表わしているような気もする。半分死んでいるなどと言うと、不謹慎なと言われる方がおられると思うが、本当にそう感じることがある。何と言っていいかわからないが、もう生きているのとは違う状態が訪れる。「立派なお庭ですね」。「そうさなあ」。とまるで月からの返事のように僅かな遅れがある。ゆっくり少し他愛もないことをお話しするのだが、どうも何か不思議な感じがつきまとう。意味というか意義が感じにくく内容に厚みがない。ああもっときちんとしたことを話した方が良かったかなと思っても、何を言えばよいのか。そっと手をさすって、二万億土の宙に浮く患者さんのそばから離れる時、僅か数十センチの空気が重く粘っこく感じられることがある。
生きている者、まして元気で生きている者が死を語ることは難しい。臨終の床を辞する時、生きているお前はどう生を全うするかを考えなさいと言われているように思う。
医者から見ると、この片足というのはあまり正確ではない。残りの部分が健全のように聞こえるからだ。命尽きるのはやはり蝋燭の火が消えていくようにという方が実態に近いように思う。部分でなく全体が少しづつ衰弱してゆくのが、黄泉への道程に見える。脳死か心停止死かが騒がれたことがあったが、畳の上の大往生では問題にならない。どちらももう向こう岸に着いているのだ。十万億土は絶対の音信不通、不可逆の距離を表現しているようだが、実際の道のりを表わしているような気もする。半分死んでいるなどと言うと、不謹慎なと言われる方がおられると思うが、本当にそう感じることがある。何と言っていいかわからないが、もう生きているのとは違う状態が訪れる。「立派なお庭ですね」。「そうさなあ」。とまるで月からの返事のように僅かな遅れがある。ゆっくり少し他愛もないことをお話しするのだが、どうも何か不思議な感じがつきまとう。意味というか意義が感じにくく内容に厚みがない。ああもっときちんとしたことを話した方が良かったかなと思っても、何を言えばよいのか。そっと手をさすって、二万億土の宙に浮く患者さんのそばから離れる時、僅か数十センチの空気が重く粘っこく感じられることがある。
生きている者、まして元気で生きている者が死を語ることは難しい。臨終の床を辞する時、生きているお前はどう生を全うするかを考えなさいと言われているように思う。