駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

岡田ジャパンまずまず

2008年05月25日 | スポーツ
 からくもコートジボワールに勝てた。終盤は相手のシュートミスに助けられた面もあったが、バックを中心によくしのいだ。まずは立て直しの曙光が見えた。
 どうも終盤、身体はもちろんだが脳味噌がへたってくる。ただ跳ね返し、妙なバックパスを繰り返ようになるのは避けなければ。終盤は先を読んだプレーが減って、それがしのぎをきつくしている。相手に細かいパスを読まれるようになったらその裏をかくように臨機応変で作戦を変える能力を付けたい。
 サイドからの攻撃が少し見られたが、もっとえぐる攻撃が必要。センタリングの精度もあげたい。
 岡田監督の人選が効果を発揮してきた。永友は合格。長谷部、松井も合格。個人的にはキーパーは楢崎の方が川口より良いと思う。ピンチの時のオーラはないかもしれないが、高い球と人に強いし冷静だ。
 岡田監督のサッカー方がオシムよりもわかりやすい。序破急があって日本人に向いたサッカーだと思う。おそらくこの試合で手応えを掴んだはずだ。
 それと、面白くも楽しくもないセルジオ越後の解説は止めにして欲しい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

後味でわかる

2008年05月24日 | 身辺記
 独立開業を思い立った時、既に持ち家に住んでいたので、当院は職住分離である。持ち家は手狭で町はずれだったし、職住一致は何かと大変な面もあると聞いていたので、医院併設は賢明でないと判断した。不動産屋と相談、運良く人通りの多い駅前にまずまずの物件を見付けることが出来た。ちょっと離れていて移動に約30分掛かるが、まあいいだろうと決心した。東京では問題なくむしろ短い移動時間だろうが、地方都市では長い方かも知れない。しかしこの30分は頭と身体を仕事からプライベートに切り替えるのにちょうど良く、全く後悔していない。上が住居下が医院の友人は階段の登り降りでは頭が切り替わらず、夜はどうしてもアルコールに手が出ると言う。いずれにしろ飲むんだろうが、気持ちはよくわかる。最近はほとんどないが、十数年前は上に住んでいるのを知っている患者が、夜遅く玄関のチャイムをしつこく鳴らすことが結構あって閉口したとも言っていた。
 当院は医院を開けるのも閉めるのも院長である私の仕事になっている。鍵を開けてセキュリティをオンオフするだけのことだが、小さい儀式のように感じる。開ける時は、さあこれから仕事だという気持ちになるし、閉める時は又別種の趣がある。今日はよく働いた、脳梗塞の患者も首尾良く初期に病院に送れたしなどと言う時はなんとも清々しいし、行き違いから受付で捨てぜりふの患者がいたりどうも診断がはっきりしない症例があると、後味がすっきりしない。
 物事の評価は数値化して良い点悪い点を分析的にアプローチだけでは不十分な場合も多い。殊に自分がどうするかといった判断は数値化しにくい。戸締まりをして医院を閉めて帰るといったなんでもないことから、自らの営為に関する判断と評価の手がかりは後味にあると気付いた。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ライトスタッフ その1

2008年05月21日 | 世の中
 伝説のテストパイロット、チャックイエーガーにあったライトスタッフ(適正な資質)とはなんだろう。冷静沈着、不撓不屈・・よくわからないが、単純に一つの性質というのでなく、いくつかの性質が微妙にブレンドされ、まさにライトスタッフを形成していたのだろう。能力でなく資質が求められているところが興味深い。資質というのは人間的なもので、コンピュータでは表現しにくいもののように思う。
 極限の能力が求められるプロスポーツ選手やプロ棋士で紙一重の勝負を勝ち抜いて行く選手には何か勝負強さの資質を感じる。特別な能力が求められなくても、色々な職種にはそれなりのライトスタッフがあるのではないか。
 「君が開業するって、患者来ないから止めたほうがいいよ」。という先輩のアドバイスに逆らって町医者になったせいか、時々町医者のライトスタッフとは何だろうと考える。
 臨床医は孤立しては存在し得ず、看護師検査技師事務員などのスタッフの協調がなければ診療ができない。町医者となればそうしたスタッフを職員として雇用する必要があり、雇用して生活を保障する以上、経営が成り立たねば成らず、苦手でも嫌いでも経済的な手腕も要求される。それと不思議なことに病院と違って、診療がきちんとできるだけでは、さほど患者さんが集まってこない。
 つまり町医者は診療能力が優れているだけでは十分に診療能力を発揮できる環境を自分の周りに作り出せず、こんなはずではなかったと内向きの屈曲路線に陥いる心配がある。やはり町中でのびのびと診療し気持ちよい医療を提供するには、テストパイロットほどではないが何らかのライトスタッフが求められるのだろうなと思う。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

社保庁の病膏肓

2008年05月21日 | 世の中
 文藝春秋の「年金消失社保庁の支配者は誰だ」を読んであまりのひどさに、腹が立つより、驚きあきれ恐ろしくなった。どうしてこんないい加減なことができたのだろうか。視野狭窄、身内の都合優先、無責任体制の三つが揃うとこういう病気になるようだ。治療の処方箋は簡単明瞭。無責任体制の打破、人事交流、徹底的情報公開で十分なはずだが、患者が治療を受けようとしないので、病膏肓に入ったようだ。自分が病気だという自覚がないことを病識がないというが、有能?な官吏官僚に病識がないはずはなく、見て見ぬふりをして己の利益を優先する体質に変化しているのだろう。薬が効かなくなるのを耐性ができるというが、病原菌の耐性化と同じように役人の公僕失念不全耐性化も恐ろしい。
 病気の難病は原因不明で良い治療法がないのだが、官僚組織の難病は原因や治療法はわかっているのに、患者が抵抗してうまく治療できないというメカニズムのようだ。本当は遡って責任を追及すべきだと思うが、それでは抵抗が強く隠蔽引き延ばしで時間がかかりそうなので、情報公開の徹底と人事交流をやったらどうか。穏やかで有効な治療法だと思う。実利を選ぶのが、こうした場合の定石だろう。
 社保庁に限らず、役所は天下りを廃止して、天上がり制度をつくったらどうか。退職後、自分で仕事を見付けるようにすれば、いかに自分達が高い評価をうけていたか思い知ると思う。
 リーダーに専門的な知識は必ずしも必要ではない。広い視野と常識があり、決断力が優れていれば十二分に勤まると思う。人事権があれば、孤立する事はなく天上がりも機能すると思う。
 町医者の診断治療は甘く、希望的観測にすぎるだろうか。町医者は今までしばしば不当な糾弾や一部の不届き者のために袋叩きに会ってきたが、最近はなぜか見直されている。我々は晒しの仕事をしてきている、それが腐敗を防ぎ、真っ当な評価への回帰につながっているのかも知れない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

医院とレストラン

2008年05月18日 | 医者
 テレビドラマのせいか医者の仕事は派手でダイナミックな印象があるようだが、、町医者は地味で、診察室の椅子に座って、訪れた患者さんをこつこつと一人づつ診るのが仕事の大半を占める。驚くようなことや走り回ることはほとんどない。在宅で亡くなられる方はご高齢で、ご家族も覚悟の大往生なので、慌てて駆けつける感じはない。
 常連が多く、待ちで受け身の展開なので、喫茶店やレストランに似ているなあと思う。
 今日も行きつけの洋食屋(フレンチ)で女房と二人で昼飯を食べた。月に二、三度日曜日はここで昼飯を食べることにしている。メニューはデザートに新顔があったり主菜に季節ものがあったりするが、大体固定していて自然暗記してしまった。行く道すがら今日は何にしようかと考える。我々より5,6歳年下か、3店目でオーナーシェフになった夫婦二人でやっている。通い始めた頃はまだ2年目くらいで、美味しく妥当な値段なのに客が少なく、入ってから出るまで我々一組だけのこともあり、余計な心配をしたりした。徐々にお客さんが増えてきて、最近は遅くゆくと4台の駐車場が満杯のこともある。知り合いに勧めてきたので、自分たちも少しは貢献したかなと思っている。口コミが最大の宣伝なのは医院に似ているのだが、その中でも女性の力が大きそうなのも似ている。彼女たちの口は良い時はありがたいのだが、悪い時は恐ろしそうだ。これはおばさんをイメージしてのことだが、若い女性も同じようにあれこれ評価するのだろうか。
 宣伝に訪れる製薬メーカーのMRが「先生のところは結構若い人が来ますね」と言ってくれるので、悪くはないのかなと思ってはいるが。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする