駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

考える葦?の心境

2019年10月16日 | 小考

        


 昨日今日と曇っている、そしてめっきり寒くなった。朝起きて新聞を取りに庭に出ると一体今の季節はいつ、と思うことが増えた。認知の始まったお年寄りに日付、月そして季節を聞いてゆくのだが、こんな気候では認知でなくても季節が分からなくなってしまう。

 駅までの道すがら、いつの間にか昔のことを思い出している。あんなことがあったな、どうすればよかったかなと脈絡もなく五十年六十年昔のことが自然に心に浮かぶ。若い時は年寄りは昔話ばかりすると思っていたが、自分が年寄りになると自然明日のことよりも昔のことが心に浮かぶようになる。

 人生はその立場になってはじめてわかることが多い。七十を過ぎると明日のことと言われても、いくつかの抱負や希望はあっても大展開は考えにくい。久しぶりにインフルエンザワクチンを打ちに来た同年配の患者さんにこの頃どうしておられますかと聞いたら「あとは死ぬだけだ」などと物すごい返事が返ってきた。単純明快、言われていればそうかもしれんと返す言葉がない。

 人間は全体を見る能力、来し方行く末を考える力が備わっているから、こうした感慨が出てくるのだろう。パスカルは人間は考える葦だと言った。自分が葦かどうか、蛙のような気もするが、立ち位置は変わってもこれからもあれこれ考えてゆくだろう。

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