駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

角栄と健一郎

2019年06月11日 | 政治経済

      


 今日は暑くないが夏空で何とも気持ちの良い朝だった。

 田中角栄の研究者でもなければ茂木健一郎のフォロワーでもないが、お二人が民主主義の核心を突いた発言をしておられると思ったので並べてみた。角栄は民主主義は数だと喝破、健一郎は民主主義ではたぶらかされてはいけませんよと受け手の有権者に警告を放った。この二つは対立というよりも相補の概念と思う。角栄は数集めに猛進し、自ら堀った墓穴に落ちてしまった。健一郎が果たしてどう出るか、火中の栗を拾って貰いたいものだ。

 民主主義では数が多い方の意向が通るのだが、数となる者は目眩ましで騙されてはならないというのが、民主主義の生き残る道と思われる。**のおまけに釣られて買うとおまけも本体ももう一つだったという経験が生かされないと大間違いのカタストロフィが待っている。栄枯盛衰は世の流れで、増え過ぎた種は自滅を選ぶものだ。それはやむを得ないで済むだろうか。昔、極東の日本は賢明誠実で繁栄を極めたが、その末裔は爪に火をともして生き永らえているになっては先祖子孫に申し訳ないように思う。

 政治家は有権者の感覚に鋭敏だから、心証を悪くしないように言葉を使い回す。安倍首相はその天才で、歓心を買い嫌悪を避けるレトリックとカモフラージュを裏でマスコミを睨みつけながら展開していく、野党とは役者が違う。老後に2000万円必要、誤解を与える表現と釈明しているが、じつは釈明しているだけで肝心な事実を何も説明していない、それはこれから調査検討すると逃げている。そこを更に追求すれば謝っているのに何かい、いつまでもごねるのかと攻守立場をすり替えかねない。腕に自信がなくて引っ込む弱そうな野党よりも、無理偏にげんこつでも強そうな与党がいいと感じる人は結構居そうだ。

 持続可能な年金制度、確かに持続は大切だが、なぜ持続かと言えば破綻という言葉では支持を失うからだ。どのように持続かと中身を問えば、支払い開始を先延ばしいつまでも働けという内容で、もうお金を使って余生を楽しむ元気もない年齢でようやく少ない年金がもらえるという絡繰りだ。これでは持続という言葉遊びに思える。不都合な事実も正面から明らかにして議論しなければより良い方策は見つからない。野党も言葉の印象だけで非難するのをやめて、国民が自らの問題として中身を考えるように議論を展開してほしい。耳障りや見た目に終始しない討論を聞きたい

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする