駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

物の豊かな国を

2014年01月19日 | 世の中

                                  

 モンゴルから北陸の地方都市へ来た看護学生の感想文を読んでいたら、日本は言葉に表現できないほど物が豊かで、人々の生活の便利さを不思議に感じましたと、書かれていた。

 普段は気が付かない日本の便利さはひょっとして異常ではないかと思う。ひょっとしなくても、落ち着いて考えれば、我々は其処までしなくてもという便利さに囲まれて暮らしている。自家用車と電化はその最たる物だろう。しばしば医学講演会で指摘されるのが、生活習慣病と言われる高血圧、糖尿病、高脂血症が自家用車の普及に比例して増えていることだ。

 厚生省が深謀遠慮で導入したと言われる生活習慣病という命名も、便利さに抗うことはできていない。運動療法としてわざわざ、早歩きに出かけることなど、半世紀前には必要がなかった。今は医者が口を酸っぱくしてわざわざの運動を勧めなければならない。日本人の寿命が延びたのは主に公衆衛生環境の改善と医療の進歩によるもので、自家用車やテレビパソコンのお陰ではない。人生設計ならぬこれからの社会設計を政府がどのように分析計画しているのか、していないのか知らない。しかし、それが一番重要ではないかと思う。ガソリンや電気の使用量を半分にして、豊かに暮らす社会は可能なのではないか。便利効率の大義看板の影に、儲けが一番異論排除の車輪が回っているような気がする。

 満天の星の下で夕餉を戴く生活を体験したことのある日本人はほんの一握りだろう。天の川の下ではきっと違う世界、気が付かない世界が見えるだろう。誰しも暫し立ち止まって考えれば自分の仕事の中で過剰、行き過ぎがあるのに気付かれるのではないか。私の仕事で言えば概ね五人に一人の患者さんは医者に来る必要のない変化だ。自分や家族の経験から暫く考えれば、経過を見てよいもの、自然によくなるもの、医者へ来ても経過は変わらないものだ。問題発言かも知れないが患者さんはお客様で、受診は医師の儲けになるので、なかなかブレーキがかからない。万一のため便利だからと利用されては保険が持たない。この頃の救急車には救急車の適性利用をお願いしますと書いてある。本当にそう思う。えっそんなことで救急車を呼んだのと驚くことがある。

 なんだかモンゴルから来た看護学生の感想から、大風呂敷を広げることになった。

コメント
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