駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

間違いを減らしたいのだが

2013年11月29日 | 小考

                 

 あってはならない間違いが起きる。新生児の取り違え、六十年前に戻して欲しいという悲痛な願いを叶えてあげることはできない。どうして間違いが起きるか、どうすれば防げるかは長年の課題で、如何にして失敗を減らすかという研究もされている。

 今では新生児取り違えといった間違いは皆無?と思うが、人間は間違える存在なのは日頃痛感している。

 私の医院でも、患者さんが殺到して忙しいと時に間違いが起きる。幸い二重三重の眼を通るため大事に至った事はないが、ひやっとすることがある。間違いは重なりで起きることが多い。そして患者さんが絡んでいることが多い。

  全員に受付順の番号札を持たせているにかかわらず、あの人の次は私だと間違って思い込んで、その人が出ていくと呼ばれもしないのに診察室に入ってきてしまう患者さんが時々居る。診察室のドアが開くのを腰を浮かせて待っているのだ。いつもは看護師がお名前を呼びしますのでとブロックするのだが、たまたま前の患者さんに歩行障害があったりして付き添うため離れている時に飛び込んでくる。「**さん?」。と違う名前を言っても「はい」。と答える人も居る。まあこの段階で何だか変だなと気がつくことが殆どだが、診察を始めてから気が付くこともある。

 若い人にはないのだが、違う名前を呼んでも「はい」。と返事をする粗忽者は後を絶たない。似た名前のことが多いのだが、同じ音数だと似ていなくても自分の名前に聞こえるらしい。耳が遠いこともあるが、次は自分と思い込んでいるからだ。落語に出てく粗忽者は笑いの種で済むけれども、笑いごとで済まない間違いを粗忽者が起こす。畑村先生の本は読んでいないけれども、間違い対策には粗忽者対策も一項目となっているだろう。

 それでは機械なら大丈夫かというと、機械は壊れることがある。コンピュータもフリーズしてしまう。間違い減らしは人間社会の永遠の課題だ。

コメント
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