駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

交渉すべき相手は

2008年03月10日 | 診療
 病気というものは誠に理不尽なもので、予期せぬ時に出てくることが多い。明日は重要な?会議という時に限って調子が悪くなる。働き盛りの男性に多いのだが、例えば腸閉塞の可能性が高いので今から紹介状を持って総合病院を受診してくださいと説明すると、今すぐはちょっと都合が悪い2,3日先にして欲しい、あるいは忙しいので待たされるところはかなわん、ここで診てくれなどとおっしゃる。つい、いつもの仕事と同じように相手と交渉すれば、よりよい条件で折り合えるように考えてしまうらしい。本当に交渉すべき相手は腸を閉塞させている癌や癒着であって、医師ではないのだがと思いつつ、なんとか説得せねばと、最悪の場合を強調したりして、ぐずぐずやっていると、奥さんや娘さんが現れて鶴の一声。すると、不思議なことに直ぐ納得されて転院して行かれたりする。本当はわかっていながら決断するまでの一つの儀式だったのかもしれないなとも思う。それに、病気に慣れておらず、押してものごとを通すのに慣れている人には、病気というのが全く人の都合を考えず出現することが実感しにくいのだろう。しかしまあ、正直申し上げて、ちょっと手間を取らせますねと申し上げたい。
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昔聞き、今わかる

2008年03月10日 | 学思
 昔聞く 洞庭の水 今上る 岳陽楼 と 杜甫は詠った。自分が還暦を過ぎたなどとは信じ難いが、ああこのことかと思うことが多くなった。寿命というのは、天命としか言いようがないが、人生八十年の時代にも六十年を生きることができたのは僥倖と思う。親の恩を知ることができた。孫の顔を見ることができた。人生を味わうことができるようになった。
 話せばわかるとは限らないが、年を取ればわかると言えることはことは多いと感じている。逆に言えば若い人にはわからないことがある。夭折の天才といわれるような人の中には若くして老成した視点を持った人も居るようだが、若い人にはわからなくて、それでよいと思う。三十年もすればやがて解けるようにわかる。
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