駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

一陣の風が吹く

2008年03月04日 | 診療
 単なるゆらぎとしても、限りある命に寄り添う仕事をしている者は、時に地獄の釜や極楽の門が開くのを感ずる。この一月末から二月末にかけて、人口数万のこの地域を一陣の風が吹いて行った。二月始め週末は大阪で教育講演会、万一の時のことを訪問看護師のNさんと相談していた矢先、Sさんは四ヶ月の家族の手厚い看護の中、金曜日の早朝眠るように亡くなった。それから近隣の総合病院から、掛かりつけだった患者さんの訃報が相次いだ。十二年間寝たきりだったUさんも、肺炎を起こし病院へ送った翌日逝ってしまった。看護されていたご母堂はご高齢で、最近介護疲れの様子に認知症状が加わっており、これからどうなることかと案じていたので、植物状態だったUさんも何かわかったのかなとNさんと顔を見合わせた。
 長らく往診した患者さんが亡くなると、その近くを走行する時、あれもう寄らなくてもいいのかと、空虚感に襲われる。
 世界は不思議に満ちていると云う。この頃はその世界は実は自分だと思うようになった。あるいは自分は世界を映していると云ってもいい。哲学者の講釈はともかく、意識というのは世界がわかるということだと思う。世界の一部を形作っていた親しい患者の喪失は心の穴となる。防衛本能もあってか、患者の転帰は医学的な視点で見る事が多いが、長く診たり、馬が合ったりした患者さんを失えば、悲しく淋しい。肉親を失った喪失感には比べようもないが、それでももう居ないというのに気付く時はなんとも言えない。

 音のしない一陣の風を感じながら、平成の世に失なわれつつある世界を垣間見ている。
コメント
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