駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

昔聞き、今わかる

2008年03月10日 | 学思
 昔聞く 洞庭の水 今上る 岳陽楼 と 杜甫は詠った。自分が還暦を過ぎたなどとは信じ難いが、ああこのことかと思うことが多くなった。寿命というのは、天命としか言いようがないが、人生八十年の時代にも六十年を生きることができたのは僥倖と思う。親の恩を知ることができた。孫の顔を見ることができた。人生を味わうことができるようになった。
 話せばわかるとは限らないが、年を取ればわかると言えることはことは多いと感じている。逆に言えば若い人にはわからないことがある。夭折の天才といわれるような人の中には若くして老成した視点を持った人も居るようだが、若い人にはわからなくて、それでよいと思う。三十年もすればやがて解けるようにわかる。
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