玉川上水の辺りでハナミズキと共に

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり (道元)

*沖縄への旅

2012年10月09日 | 沖縄のこと

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 沖縄旅行の計画が持ち上がり元職場の同僚の70歳前後の男3人が一昨日の夜久しぶりに居酒屋で顔を合わせた。そこで11月の初旬の出発が決まった。私をのぞく2人は沖縄の土地を訪れるのは初めてである。4泊5日のおおよその計画を私がまかされることになった。「観光コースでない沖縄」がリクエストだが、4泊ぐらいの旅でこれを実現することは難しい。一番若い私は車の運転を放棄しているが、レンタカーの運転なら残りの2人が引き受けるという。できればあと一人巻き込もうではないかということになった。

 伊江島は沖縄本島の西海岸にある本部(もとぶ)半島の西に浮かぶ面積が約20平方キロメートルの島である。平坦な島に標高172mの山が一つポツンとそびえていて本島側から望む島全体の姿はとても特徴的である。1953年米軍は土地収用令を発布して射爆撃場建設のため伊江島の土地を強制的に取り上げていった。村民による伊江島の闘いは土地を強制接収された沖縄のほかの地域の闘いと合流し「しまぐるみ闘争」にまで発展した。伊江島は反基地闘争の原点と呼ばれている。依然として米軍基地は島の約32%を占める。私もまだこの島に足を踏み入れたことはない。

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 沖縄本島南部には「ガマ」と呼ばれる自然洞窟が無数にあり戦跡となっている。中でも糸数壕(アブチラガマ)は修学旅行生を中心に年間15万人が訪れる鍾乳洞だ。1945年3月23日から艦砲射撃が開始され、翌24日から糸数の住人約200人がこのガマに避難した。4月下旬陸軍病院分室に設定され5月1日に約600名の患者が搬送されてきた。病院の撤退後は重症患者は置き去りにされ非惨を極めた。全長270mの壕は現在でも非常用以外の照明が無く、沖縄戦追体験として「漆黒の闇」を体験できる。入場者それぞれが足元を照らす懐中電灯を用意する。私はこのガマは経験済みである。

 沖縄の酒といえば、古く15世紀にタイのシャム王国から伝わった泡盛である。原料は米。ただし日本の米は使わず、タイ米を使う。泡盛には20度から43度まで各種の度数があるようだ。蒸留酒は腐敗しない。貯えるほどまろやかになって風味がでるという。3年以上たつと古酒(クース)と呼んでよいようだ。「泡盛で語る琉球賛歌」の作者である上間信久氏によると泡盛と共になければならない食品が「豆腐よう」だ。各家庭で作る時には、豆腐の選択、乾燥のさせ方、麹の育て方、付け汁に使う泡盛などがポイントだという。

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