くたくたに疲れていた。体の芯が溶解していくようだった。普通でないストレスだった。たとえば浴槽につかったままその栓をぬくと、いままで浮力を受けていた体がお湯が流出するにつれて重力を感じ始め、ぐいぐいと浴槽に押し付けられていく。そんな重力と類似したものとしてストレスを感じていた。
総合という新しい教科の評価を出さねばならないが、これまでやってきたことは提出物の管理ぐらいだ。1学期は生徒が各自のテーマを確定するところまで。面接と提出物2点で評価する。当初は3人1組の教師がそれぞれ担当の生徒の評価をそれぞれの責任で出すことにしていた。おしなべて私の評価は大甘のようだつた。
完結したレポートの形なら評価のしようもある。私にはとても出来ないと思ったのがいけなかった。そんな私を見かねて、3人の平均値をとることになった。3倍の仕事量になったわけである。残り2人の教師に蚊の泣くような声で、謝るのが精一杯であった。私には出来ません。ご迷惑かけましたと。ところがなんだかんだで、評価は出た。出すしかない。しかし気の進まないことを続けるのは大きなストレスとなる。閉ざされた心のままで、その日は眠りも浅かった。
幸運にも翌日9日の土曜の昼下がり市民ホールで「さとう宗幸」のコンサートを聞くことになる。東京多摩いのちの電話開局20周年記念とあった。ほぼ30年前に大ヒットした日本を代表する抒情歌「青葉城恋唄」で始まった。白のスーツに、ノーネクタイで、薄紅色のシャツに薄茶のベルトに薄茶の靴で、頭や口髭に白いものがみえる。56歳で小柄ながら男もほれるダンディぶり。舞台に近い席にもかかわらず望遠鏡でスポットライトのなかを追う。霧が峰高原の山小屋の主人や永六輔や90歳を過ぎた四国の詩人らとの交流などのトークをはさみながら休憩なしの100分であった。
その日はやらねばならない仕事を持ち帰っていたが、いいタイミングでコンサートのチケットがあったものだ。ねったぼさんが友人と行くつもりが友人の都合がつかず残っていたチケットだ。これで大きなストレスから逃れることができた。
総合という新しい教科の評価を出さねばならないが、これまでやってきたことは提出物の管理ぐらいだ。1学期は生徒が各自のテーマを確定するところまで。面接と提出物2点で評価する。当初は3人1組の教師がそれぞれ担当の生徒の評価をそれぞれの責任で出すことにしていた。おしなべて私の評価は大甘のようだつた。
完結したレポートの形なら評価のしようもある。私にはとても出来ないと思ったのがいけなかった。そんな私を見かねて、3人の平均値をとることになった。3倍の仕事量になったわけである。残り2人の教師に蚊の泣くような声で、謝るのが精一杯であった。私には出来ません。ご迷惑かけましたと。ところがなんだかんだで、評価は出た。出すしかない。しかし気の進まないことを続けるのは大きなストレスとなる。閉ざされた心のままで、その日は眠りも浅かった。
幸運にも翌日9日の土曜の昼下がり市民ホールで「さとう宗幸」のコンサートを聞くことになる。東京多摩いのちの電話開局20周年記念とあった。ほぼ30年前に大ヒットした日本を代表する抒情歌「青葉城恋唄」で始まった。白のスーツに、ノーネクタイで、薄紅色のシャツに薄茶のベルトに薄茶の靴で、頭や口髭に白いものがみえる。56歳で小柄ながら男もほれるダンディぶり。舞台に近い席にもかかわらず望遠鏡でスポットライトのなかを追う。霧が峰高原の山小屋の主人や永六輔や90歳を過ぎた四国の詩人らとの交流などのトークをはさみながら休憩なしの100分であった。
その日はやらねばならない仕事を持ち帰っていたが、いいタイミングでコンサートのチケットがあったものだ。ねったぼさんが友人と行くつもりが友人の都合がつかず残っていたチケットだ。これで大きなストレスから逃れることができた。