玉川上水の辺りでハナミズキと共に

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり (道元)

2つの記念碑

2005年07月19日 | 捨て猫の独り言
沖縄県は92年に平和の礎(いしじ)建設委員会を設置した。その3年後終戦から50回めを迎えた6月23日の慰霊の日に糸満市摩文仁の平和祈念公園にて平和の礎の除幕式典がおこなわれた。戦没者の追悼と平和祈念、戦争体験の教訓の継承、安らぎと学びの場の形成の3つが基本理念。

私はこれまで、99年と00年の2回ここを生徒と共におとずれ、この8月で3回目となる。平和の「壁」でスタートしたが、早い時期に「礎」にしたらしい。

デザインのコンセプトは平和の波永遠なれ。太平洋に面した平和の広場の平和の火が中心である。6月23日の日の出の方向と平和の火を結んだ直線上にメイン通路が配置されている。海側の平和の火を中心として半同心円状に刻銘碑が並ぶ。黒光りする花崗岩の刻銘碑は充分な間隔を保ち整然と公園側に広がる。碑は屏風のようだ。5つ折りと3つ折りのタイプがある。刻銘可能数は約25万名という。

もうひとつの記念碑については5月の新聞で知った。

『ベルリンのホローコースト記念碑は、東京でいえば、丸の内あたり、首都のど真ん中に建てられた。サッカー場2つ分の敷地には高低さまざまの石碑2700あまりが格子状に配置されている。墓標を思わせる板には何も書かれていない。設計者が一切の象徴性を放棄したというように、訪れる人の解釈にすべてを委ねる趣向だ。88年に建設を呼びかける市民運動が起きて17年で完工した。敷地の一角の地下にある情報センターでは、展示の冒頭にいかなる予想も裏切ってそれは起きた、だから再び起きるかもしれない、という言葉を掲げている。アウシュビッツを生き延びながら後に自殺した作家プリーモ・レーヴィの言葉である。』

写真で見る記念碑は確かに不揃いで、しかもその間を誰かと連れ立って歩くことはできそうもない。まるで資材置き場のようだ。2つの記念碑のことを知り靖国に代わる国立の追悼施設について考えた。まず場所は立川市にある昭和記念公園の中でどうだろう。ここなら外国の元首を案内するのにも便利だ。

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