元琉球朝日放送社長である上間信久氏(1947年生まれ)の「消された南の島の物語」という労作を読んだ。あとがきには「西のノートルダム寺院と東の首里城。これは人類に対する天からの何らかのサインか」とあわただしく加筆されている。今年の1月の出版である。お会いしたことはないが2013年出版の「琉球いろは歌」を読ませてもらったことがある。
県泡盛同好会の会長でもある上間氏の、沖縄文化への熱い思いが伝わる著作だ。あくまでも市井の面白がり屋が書いたものと断りながら、大胆な仮説を展開している。ところどころに質問役のハビルと解説役のタオとの会話が挿入される。ハビルはウチナーグチで「蝶々」のこと、タオは「道」という中国語だ。対話の中のウチナーヤマトグチ(沖縄なまりの標準語)がほほえましい。
琉球の島々のルーツを探る氏の視点は、古代中国の殷王朝から周王朝あたりの約3000年前まで広範囲におよんでいる。殷の時代の貨幣であった「タカラガイ」については柳田国男著「海上の道」に「琉球諸島群がタカラガイの最大の供給地だった」に示唆を受ける。魏志倭人伝に卑弥呼が「私は呉太白のすゑです」とある。そこで「呉太白」とは何者かをとことん追跡してゆく。
中国の歴史書「論衡」に「倭人貢鬯(わじんこうすちょう)」という4文字を発見したときに、上間氏はこの鬯(ウコン)は琉球諸島から採取されたものに違いないと雷に打たれたような衝撃を受け、つぎには高揚感を覚えたという。私も漢和辞典で鬯(チョウ)を引いてみた。そこには「くろきびを容器に入れ、うこん草をまぜてかもした酒で、そのかおりがのびて、神をひきよせる」ということが付記されていた。(続く)
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