玉川上水の辺りでハナミズキと共に

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり (道元)

*日々の断片

2010年11月08日 | 捨て猫の独り言

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 外から帰って庭のサザンカの木の傍に一羽の「コゲラのなきがら」を見つけた。それは勝手口のコンクリートの上で陽の光にさらされて仰向けに横たわっていた。出かけるときにはそこには何もなかった。誰かが運んでそこに置いたのではないかと疑ってみた。5月中旬にコゲラの子育てを観察したことがある。あれはこの一年の中でもわくわくする体験の一つだった。今回の「なきがら」は私が観察したあの時の親鳥ではないかという思いの不思議な気分の中に私はいた。「なきがら」は庭の片隅に埋めた。

 河野裕子さんの歌 「手をのべて あなたとあなたに 触れたきに 息が足りない この世の息が」 について容易に頭から離れないことがある。見当違いかも知れないが敢えて記すことにする。誰しも、あなたとあなた、息がと息が、の繰り返しに非常に切迫している状況を感じる。そしてあなたの繰り返しについては、前者のあなたは魂としてのあなたで、後者は身体としてのあなたではないか。前者と後者は同一人物であり作者の夫である永田和宏であろう。この解釈は無理だろうか。やはり「あなたとあなた」はこれまで作者と親交のあった多くのあなたを指しているとみるのが妥当だろうか。

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 足の弱った母を連れて国分寺で通勤時間帯の満員電車に乗った。よろめいてつり革にも届かず圧迫感にさらされた。追い込まれた私は自分でも予想していなかった行動に出る。つぎの駅でドアが開いた瞬間に「移動させてください」と叫び優先席あたりにまずたどり着く。つぎの段階では3人がけの一番手前で目を閉じている若い女性の膝を叩いて「譲ってください」と叫ぶ。間髪入れず母を座らせる。さらにひと駅ほど過過して隣りに立っているさきほどの女性に「助かります。あなたは大丈夫ですか」とささやく。最後に新宿で降りる女性に私はドアの外に出て頭を下げて見送る。とっさの行動にしては我ながら上出来だった。

 冬の花としては山茶花が有名である。ところで茶の木の花も冬の花で、白色五弁花を少数つけるということを知った。なるほど注意深く観察しないと茶の花には気付かないはずだ。山茶花と茶はともにツバキ科である。ツバキの方は早春に花が咲く。近くを散歩していると白い山茶花が列をなして咲き誇っていた。それもまるでダリアのような山茶花だ。八重の山茶花だという。そういえば八重のどくだみの花を見たのも今年のことだった。庭の赤い山茶花はまだ蕾のままである。昨日の7日は立冬だった。(はとバスツアーにて・スカイツリーとレインボーブリッジ)

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4 コメント

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コゲラの巣を発見、親子観察記は2010.05.24付でした。 (匿名希望)
2010-11-10 23:45:12
コゲラの巣を発見、親子観察記は2010.05.24付でした。
美しい姿を見られた人の軒先まで飛んで来て息絶え、その手で葬られことは幸せでありましょう。
同一でないかもしれないがそう思うことにします。
冒頭、志賀直哉の「城之崎にて」の趣があります。
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私は死に際まで歌を詠む歌人の構えの凄まじさに哀... (sonoe)
2010-11-10 23:09:12
私は死に際まで歌を詠む歌人の構えの凄まじさに哀れを感じました。 田辺聖子の「杉田久女」や藤沢周平の「長塚節」研究の読後にも同じ想いがありました。 彼らにとって歌を詠むことは死の直前まで続く「闘い」なのですね。

「コゲラ」は英語で何の鳥なのかな? 渡り鳥のシーズン、我が家でも窓にあたったまだぬくもりの残った亡き骸を見つけることがあります。有効な対策はないようです。 残念ながらお宅のも窓にあたったのだと思いますよ(現実的解釈でゴメン)。
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突然よろよろと老婆が目に飛び込んできたのであの... (捨て猫)
2010-11-10 09:34:34
突然よろよろと老婆が目に飛び込んできたのであの女性はびっくりしたことでしょう。考える間もなく席をゆずる破目になりましたからむしろ気の毒な方でした。それにいきなり膝を叩いたことは後から考えると冷や汗ものでした。新宿では扉近くの私が先に降りた方が彼女も降り易かったのです。この日は多くの周囲の乗客が無言で見守っていることを私はかなり意識していました。こんな時は多少強引にやってもいいんだよねと同意を求める気分でした。
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控えめな日本人の習性として、行動を起こすにはか... (sonoe)
2010-11-10 01:29:50
控えめな日本人の習性として、行動を起こすにはかなりの勇気が要ります。今回は老齢のお母様同伴で、普段は引っ込んいる積極性がグイと前方に出てきたのですね。ただ新宿駅でホームに降りてまで礼をなさったのはソコマデシナクテモという感じがします。相手の女性も恥ずかしいでしょう。 周囲の見るからに老齢な人や身体の弱そうな人に気付かぬふりして、目をつぶっている若者を見ると蹴飛ばしてやりたい衝動に駆られる私、なるだけ声をかけるよう、普段から
「積極性行動」のクセをつけるようにしています。しかし、最近は危ないからと家族に注意されています。 それでも行儀の悪い人を増長させないようにするのが市民の責任だと思います。 
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