折りにふれて思い出したいものです。2014年に沖縄県知事に当選し、志半ばで病に倒れた翁長雄志氏はすぐれた資質をもつ政治家でした。多くの人がその政治家としての言葉に打たれたものです。歴代の知事も米軍基地を抱える沖縄県の過酷な政治状況を何とか打開すべく奮闘しました。その中にあって翁長氏はきわめて明確に目標を指し示してくれました。
翁長知事は日米地位協定の問題に精力的に取り組みます。沖縄県は2018年に地位協定の国際比較のため、県の職員をドイツとイタリアに派遣して現地調査を行い、三月にその成果を「中間報告書」として発表しました。そして七月に札幌市で開かれた全国知事会議で、日米地位協定の抜本的な見直しなどを求める提言書が全会一致で採択されます。
思想信条の違いや米軍基地のあるなしに関係なく、47都道府県の知事が一致して地位協定の見直しを求めた意味は非常に重いと思います。しかし提言書が採択された知事会に翁長知事の姿はありませんでした。画期的な瞬間に立ち会うことができず、さぞかし無念だったろうと思います。五月に膵臓癌の摘出手術を受けた翁長氏に、沖縄から北海道に飛ぶ体力はもう残っていませんでした。
全国知事会の当日、翁長氏は癌の痛みに耐えながら、最後の力を振り絞るようにして沖縄県庁で「埋め立て承認」を撤回する会見を行いました。この会見でつぎの言葉を残しています。「今の日本の米国に対しての従属は、日本国憲法の上に日米地位協定があって、国会の上に日米合同委員会がある。この二つの状況の中で日本はアメリカに対して何も言えない状況がある」会見から12日後の8月8日に浦添市の病院で亡くなりました。まだ67歳でした。
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