八丈島は二つの火山が接合した火山島だ。西に伊豆諸島最高峰の八丈富士(854m)があり、東の三原山(701m)に挟まれた低地に飛行場がある。八丈では米は採れない。佐渡ヶ島は隆起によってできた島で北の大佐渡山地(1172m)、南の小佐渡山地に挟まれた平野はトキの棲む穀倉地帯だった。二つの山塊に挟まれた地形を持つという類似性を感じた。規模では面積において佐渡は八丈の12.4倍、人口は7.3倍もある。八丈の外国人登録者数は103人という。
1960年代当時は、海外旅行は敷居が高く、沖縄はアメリカ軍統治下にあった。そこで八丈島は「日本のハワイ」として新婚旅行のメッカだったという。その頃に建てられた三つの巨大ホテルが廃墟としてそのまま残っていた。なんでも面白がるガイドさんはスマホで撮ったその廃墟の内部の写真をちらりと見せてくれたりした。(キョン、ストレリチア、ヘゴシダ)
空港にはキダチアロエがぎっしりと植えられ、ところどころ道路にはヤシの並木が続き、町の花である「ストレリチア(極楽鳥花)」をあちこちで見かけた。初日の植物園ではタイワンキョン(小鹿)にゴムの木の葉をちぎって与えたり、最終日にはヘゴシダの繁るジャングルのような場所にも訪れた。そんなわけで八丈島は亜熱帯と呼ぶにふさわしいと思った。
車窓からは、いつも八丈小島が見えていたような印象がある。八丈小島は海岸線が急斜面のピラミット状の島で、船の係留は不可能である。そして1969年に24世帯91人が島を離れ無人島になった。当時「全国初の全島民完全移住」として注目されたという。旅行前に、移住のため絶壁から転がすように家財道具を船に積み込む様子をとらえた貴重な映像をテレビで見る機会があった。それはさておき八丈島にも縄文時代から人が住んでいたという。(つづく)