玉川上水の辺りでハナミズキと共に

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり (道元)

*死生観

2021年12月23日 | 捨て猫の独り言

 宗教学者であり作家でもあるという島田裕巳氏の「無知の死」を読んだ。深刻なテーマの割には気軽に読めた。「戦乱、災害、飢饉、疾病の流行などに見舞われた中世と比べ、高度経済成長で豊かで安定した生活が可能な社会では、死後に極楽往生することを強く願う必要はない」として、まず死生観も変化することが強調される。(写真はNHKこころ旅より)

 

「平均寿命が短い時代には、あまり先のことは考えないで死ぬまで生きようとする。つまり死ぬまで生きればいいのだと思いきることができた。超長寿社会においては、そんなに人生が長く続かなくてもいいと思っても、長すぎる人生をどうしたらいいのか考えざるを得ない。誰か頃合いを見て、自分を死なせてくれないだろうか。そういう願望を抱く人も出てくる」

 この件では、自分の普段の思いをずばり言い当てられた気がして思わず独り笑いしてしまった。また「生きていることが仕事だ」の名言もあった。それはつぎのような訳だ。「生きている限り年金が入る。それは自分のためにも使われるし、家族のためにも使われる。そして金銭を使えば、それは誰かの手に渡るわけで、その形は仕事していた現役のときと変わらない」

 そして著者はつぎのような提言をしている。「今の社会は高齢者が増え、そのことが下の世代を圧迫している。一歩身を引いて考える姿勢を保ち続ける必要がある。それは出家や隠居といったあり方に通じる。年を重ねてくれば、世の中から一歩身を引き、そこから物事を見ていくべきなのだ。これがストレス軽減といったことにも結びつくことは間違いない」

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