「この中で意識のない人いますか?」養老先生はこう言って会場の聴衆を笑わせる。「意識的活動は脳の産物だ」というのが唯脳論である。意識的活動の産物でないものこそが実は多いのだと指摘したつもりなのに、世界が脳の産物と誤解されると嘆く。解剖学者は死体を見てそこに自然を発見した。たしかに脳は人工物でない。
「唯脳論」は、唯心論を唯物的に語るための「方法」だ。心が先なのでも物質が先なのでもない。「脳」ということでお話を始めれば、それはどちらの側からも語られ得るということを示す唯脳「法」であると言ったのは池田晶子である。(喜寿・柳宗悦作)
ある数学者が、学生相手に「《神》などというものが言葉の上だけにしかないように、《真理》などというものは存在しない」という話に続いて「だれでもが知っていて、誰もが見たことのないものが四つある。それは、点と直線と平面とオバケ、ではお粗末」と語った。
数学者は見たことがないものを現実だと本当に信じている。そして脳にはそういう「クセ」があるのだと養老先生はのたまう。「個人心理何ていうものはない、あるのは社会心理だけなんです。この考えを採っているのは私のほかに岸田秀さんぐらいです」の発言もユニークだ。