あられの日記

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巨木探訪・善通寺、南大門前の大楠

2020年01月30日 06時01分09秒 | 香川の巨木と神社仏閣
2020.1.3訪問。善通寺の五柱明神の大グスに隣接してもう1本の巨木南大門前の大楠がある。
環境庁が平成3年(1991)5月30日に発行した日本の巨樹巨木林(中四国版)によると、南大門前の大楠推定樹齢1500年。樹高29m・胸高周囲12.4mです。
鑑賞開始。
太い幹からすぐ上に空間があるなあ?
あ。太い枝が落ちた後発見。ブログ記事を書くにあたり、WEBに上がってる数多くの画像を確認したら、以前はもっと枝はが多い樹形だった。こちらも五柱明神の大グスのダメージよりましだけど、そこそこ弱ってるのかもしれない。まあ今が冬だからかも?とはいえ、クスノキは4月から5月に大量に落葉し、古い葉から新しい葉に入れ替わるのですが。
太い枝を支えてる支柱も複数。
けど周囲を囲んであり、木の側には近寄れない。
大楠の側にトイレがあり、順繰りにトイレ休憩タイム。
あ。古い説明板があるな。一部判読できない場所もあるけど。
善通寺境内の楠:この老楠は弘法大師御誕生の時より繁茂していたと言われ、樹齢一千数百年を経たる大楠である。
弘法大師御著三教指帰に「櫲樟日を蔽うの浦」と仰せられ、誕生会の式に「其郷は櫲樟日を蔽うの浦」といい、全讃史に「櫲樟の大樹あり、これ大師誕生の時より有る所なり」と記され。大師の当時を追憶する天然の記念木である。
大楠は地上1、5メートルのところで、幹囲11メートルに及び、東北・盗難に3大枝を出し、枝葉は東西で24メートル、南北29メートルに広がり、樹高30メートルに達する。
五社明神の大楠の幹は、地上2、3メートルのところで幹囲10メートルあり、南北に2大枝を出し、幹はさらに伸びて4大枝を分けて、樹高40メートルに及ぶ巨樹で根本に祭る社殿は古く善通寺領の氏神を祭る五社明神社である。」
古い説明板だけど、いつ巨樹を計測し、いつ設置したものか書いてない。
巨樹には定義があって「地上から130cmの位置で幹周りが300cm以上の樹木」。これは環境庁が1988年に巨樹・巨木林の調査を行った時に決まったようです。
あ。トイレ休憩が終わりみんな揃ったので、巨木をバックに集合写真撮影。私だけが嬉しい構図です。
南大門をくぐり臨時駐車場へ向かう。
子供らの書いたパネルのモチーフは2本の巨木だ。
広場に周辺図があった。
周辺図には善通寺の西側に香色山がある。境内から山は見えなかった。なぜ?と考えて、仁王門から誕生院へは天井のある回廊があって、西側が見えなかった。
そしてふと善通寺の山号を考える。確か「五岳山」。調べる。
「善通寺は屏風浦五岳山誕生院善通寺と号し、山号の「五岳山」は、寺の西にそびえる香色山・筆山・我拝師山・中山・火上山の五岳に由来し、その山々があたかも屏風のように連なることから、当地はかつて「屏風浦」とも称されました。」
そういや、古い説明板にも弘法大師の著書に「(屏風)浦」の文字が出てましたね。弘法大師が生まれた屋敷からは毎日裏山が見えてたんだろうなあ。
あん?何か記憶を刺激されたよ?
去年9月の敬老の日に上野の国立博物館の常設展の無料開放があったのですが、そこに法然上人の絵巻が展示されてました。
中に善通寺の場面があって「空海生誕の地である讃岐国善通寺にしばらくとどまり、松を詠む」とありました。そういえば?
境内案内図を確認したら、東院の右下に法然上人逆修塔というのがある。
ブログを書いてて気づいたので、参拝中に見に行ってないのが悔やまれる。
ちなみに逆修とは、生前に自分の死後の冥福のために仏事を行うことです(別の解釈あり)。そのために建てる石塔婆を逆修塔という。
っということは、法然さんの絵巻に出てくる善通寺の絵は、本当にこんな感じだったのかも?去年絵巻を見た時は善通寺に山なんかない!と思ってたからまた嘘ばっかり描いて〜とか思ってました。ごめんなさい。ちなみに、法然さんは(1133-1212)、平安末期から鎌倉初期の方です。
さて、次だ!次の巨木は若宮神社のイブキです。せっかく善通寺まで来たので、帰り道にある巨木にも寄りたいんだよね〜。

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