あられの日記

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有名人が一杯な池上本門寺の墓所

2012年02月22日 05時40分26秒 | 墓所巡り
歴史上の有名人も多いけど、芸能人や今でも有名人の墓も多いんだな。
トップ画像と左の墓は狩野常信(父)・周信(子)・養信のお墓です。
江戸幕府に仕えた御用絵師ですね。時代的には常信は徳川家光・家綱の御用を務めました。水戸黄門さまもごひいき筋だったらしい。
さて、この墓の名前を見て欲しい。

これ、誰が書いた字を彫ったのかわかるんですよ。
記名部分を拡大してみましょう~。ハイ、ポン!

読めます~??「中曽根康弘」とあるんです。ええ、ロナルド=レーガンと「ロン!」「ヤス!」と互いに呼び交していたかつての日本の首相です。まだまだ元気に政治に携わってらっしゃいます。
よく神社仏閣を巡っていると、扁額を揮毫した方は今でも名を知られる有名人の場合があります。かつての交流に思いを馳せて感動しますが、これも長く残るんだろうなあ。だって石に刻んであるんだもん。
…私も大概悪筆なんですが、中曽根さんには勝てるかもしれん…。

これもご隠居さんが教えてくれました。墓の主の名前は存じ上げなかったんですが、朱色のついたてにあったのはビッグネームでした。高倉健さんの控えめな性格を現すように、名前はついたての裏に小さく記されてました。
また、携帯電話の電池の残量が怪しくなってきて撮影してませんが、以前紹介した石の虎の彫刻があったお墓の持ち主もご隠居さんが教えて下さいました。
本門寺にある有名人のお墓(2009年10月7日)の記事こちらの記事で石の虎の画像を確認出来ます。
墓の主は政治家だった(確かかつての自民党大物議員)んですが、墓所内に2つあった墓石に刻んだ名前が凄かった。私がわかったのは2人だけ。一人は巨人軍になにかあるとニュースになる渡辺恒雄さんで、もう一方は昭和のフィクサーと呼ばれた児玉誉士夫でした。
また五重塔の近くにあった横澤家のお墓は、フジテレビの伝説のお笑い番組「ひょうきん族」の初代プロデューサーの横様さんのお墓でした。
そして五重塔の北側にあった細川家の墓所に隣接していたのは、歌舞伎の松本幸四郎さんちのお墓でした。側面に「松本白鸚」と刻まれてたから間違いない。
さて、ボチボチいっぱいいっぱいです。携帯電話の電池残量も怪しいんですが、仮覚え出来る記憶の残量も残りわずかとなってしまったのだ!
この散歩は2011年11月22日だったので、既に3ケ月前の出来事を思い出しつつ書いてるんですけど、大概当日もこの辺りで記憶の限界を迎えてたんですね。どうがんばっても由来の思い出せん画像がまだまだ残ってるんですよ。どうすんだよコレっ。
あ~れ~~??せっかく幸運な出会いによりご隠居さんに色々レクチャーしてもらったのに…。このザマかよっ!!がっかりじゃ~~~っ
以後、だいぶん曖昧な記憶でお届けします。ええ。明日もまだまだ墓地巡りです。ついてこれてる??つーか、当日の同行者のあっこさん、チェックしてくれ~~~。私もう限界ですよ。   
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