あられの日記

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消防博物館

2012年09月05日 05時43分43秒 | 漫画【赤坂迎賓館界隈楽々散歩】
新宿通りに面した四谷三丁目交差点の角に東京消防庁の消防防災資料センター、消防博物館がある。

開館時間:9:30-17:00
休館日:毎週月曜日
入館料:無料!
そうなのです。ここはただで入れるのです。7月28日の炎天下、赤坂迎賓館ーホテル・オークラー大久保利通哀悼碑ー四ッ谷界隈寺社巡りと、いい加減ヘバってきました。ここへ来て、冷房の効いてる博物館はとても助かります。
まずはエントランスにある受付で、入館手続きをして入館バッチをもらってから入ります。
そのままエレベーターで階上の企画展示室へ。
6F/7Fでは消化器の使い方体験コーナーがあった!
もちろんやってみた!もう20年位前、本物の消化器で消火訓練したことありますが、昔過ぎてやり方がうろ覚えです。
今どきの体験コーナーは、燃えてる設定で、消化器を感知エリアへ向けると、赤外線探知機で消化器を正確に使用してることを認識出来る仕組みになってました。う~む…。んでも消化器自体は、40年前とあんまり変わってなかった!あ。うちの田舎では、小学生はすべからく消防クラブに入らされ、消防団の指導の下、訓練が年に1回くらいあります。だから、小学生の間に1回は消化器の使い方実習があったのだ。だから、今回で人生3回目の消化器で鎮火訓練だったのだ。

同じ階で、江戸の判じ物浮世絵がありました。
これはね。ナマズが地震で下手人としてひっ捕えた場面。周りの人間は、地震で儲けてる商人らが減刑嘆願してるのです。日本は昔っから地震が多かったんだね。
さて、階下へ移動します。
5F 江戸の火消しコーナー

江戸時代、火事が起こると大変でした。今と違い、家々は木と紙と土で出来てますから、火にはとても弱かったのです。
この頃の火消しの仕事は、家に水をかけて火を消すことではありません。
延焼する進行方向に先回りして、一斉に家を壊しています。壊すことで、火がそれ以上進まないように食い止める手法を取ってました。破壊消火といいます。
火の見やぐらを所々につくって、火の手を見つけると、火の見はじごを駆け上り、半鐘を鳴らして人びとに知らせます。とにかく生き延びるのが優先なのです。それでも100万都市の江戸では毎年のように大きな火事が起こりました。有名な明暦の大火では、焼死者10万人。江戸の2/3が焼けました。明暦の大火は別名振り袖火事(1657年)、八百屋の16歳になったお七という女の子が放火したのが原因です。まあ、これは作り話が入ってるかもしれんが。
さて、消火に当たった人には武家火消しと町火消しがあります。
これが『暴れん坊将軍』で、吉宗がちょくちょく遊びに行っていため組ですね。

火消しはそれぞれの組で「まとい」を持ってます。各組のシンボルでした。
ちなみに、町火消しは享保年間、大岡忠相が設置。つまり大岡越前つーか、吉宗の時代ですね。いろは48組、深川・両国16組です。

ちなみに、火事が起こると、大名の姫さまたちも火消し装束を着用しました。
  
さて、階下へ移動します。明治・大正に入ると、消防の仕方は大きく変わります。まず、レンガ造りの頑丈な建物が増えて、破壊消防はなくなります。
そこで登場するのが外国から消防の機械を輸入すること。
ってな事で続きは明日。
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1 コメント

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明暦の大火 (ぶめ)
2012-09-06 09:14:43
振袖大火は八百屋お七とは違うよ~。
あられさんの好きなもののけネタだよ。
ある大店の娘の夢にそれは麗しい若衆が現れ、それに恋した娘はその若衆が着ていたものと同じ振袖を作らせ、日がな一日それを見ながら恋心を募らせ、死んでしまう。
その振袖は娘を弔った寺に預けられたけど、その見事さゆえに古着屋に払い下げられ、やがて別の娘が「夢で見たあのお方が着ていたのと同じ」と買い取り、やはり同じように死んでしまう。
するとまた別の娘が…と続くにいたり、これはもののけの仕業である、と寺でその振袖を焚き上げることになった。
大勢の見物人の前で火がつけられた振袖は、にわかの風に空高く舞い上がり、寺に落ちてその火が一気に広がった…という、摩訶不思議な大火だよ。
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