島の上部にある水仙ロードから見た穴の開いた岩を目指して海辺を歩く。
ところがっ。鎌倉の材木座海岸を歩いた時は波打ち際を歩けて結構サクサクと進んだのに由比ケ浜から若宮大路(2010年4月10日)の記事、どうにも歩きにくい。ま。城ヶ島には砂浜はないから当り前なんですが。
城ヶ島の海岸はこんなんです。わかります?細かい貝殻のくだけたの中心。一歩進む度にずぶっと足が沈むんだよ~。時間がかかってたまらん。こりゃ、当初の予定の海岸沿いを歩いてたら、とっても時間がかかっていたってことか?そうなのかっ!?間違って正解だったのかぁあああ~~!!
わけのわからない葛藤をしつつ歩いてたら着いた。
「馬の背洞門
これは自然が作った海蝕洞穴で長い年月をかけて波浪、風雨等に浸食されてこのような見事な形となったものです。
地層は第三紀層、鮮新統、三浦層群に属し土質は凝灰質砂礫岩という軟かい岩質です。高さ8メートル、横6メートル、厚さ2メートルで、土地の人は「馬の背の洞門」のほか「めぐりの洞門」、「眼鏡の洞門」などと呼んでいます。
そのどの名前もみな洞門の形から推して名付けたものです。
明治の文豪、大町桂月はここを訪れて次のように述べています。「ーー馬の背に至る、怒濤脚下の巌を噛む、左は房州、右は伊豆、前には雲の峰聳ゆ、その雲の峰少し薄らぎて中より大島あらわる、馬の背はやがて馬の首となり、長巌海に突出し。云々
*落石等の危険があるため近づかないでください。 三浦市」
とあります。ぜひとも穴をくぐりたいのですけど、ダメって禁止されてます。
穴の向こうに房総半島が見えてます。
馬の背洞門を堪能し、またまた坂を登る。今までの坂の中で一番昇りやすい。例え所々岩の階段だとしても。
さすがに時間も経って、観光客が増えて来た。団体さんが降りてくる。む~ん。結構年配の老人も混じってるけど、体力は年じゃないからね。でも足元にはくれぐれも注意してね。
去年の夏中国は大連市を旅したのですけど、あっちの現地ガイドさんが「日本人元気。うちのおばあさんはよぼよぼで皆さんのように歩けない」って言ってましたが、私は(元気な老人が中国、しかも旅順へ来てるからそう思うんだよ。ヨボヨボの老人は海外旅行に来ないんだよ)と密かに胸の中で突っ込んでました。や。城ヶ島をサクサク歩いてる老人も充分体力あるけど~。
さて、馬の背洞門を上がると、先程の水仙ロードに戻ってきました。道なりに東へ。
と、見えてきたのはウミウ展望台。
城ヶ島訪問の目的の4つのうちの一つです。
「たくさんウミウいるね」と私が言いましたらば「え?どこっ!」とダンナが答える。
「あそこだってばっ!!」と言ったものの。確かに遠過ぎる。マイフェイバリットカメラの望遠で見ても、110ミリだと拡大してもウミウがゴミのようだ…。
するとダンナはおもむろに背のリックサックをおろし、彼のフェイバリット双眼鏡を取り出した。
「おおっ。いるねえ~」とごきげん。
旅順のホテルで中国軍の潜水艦を見てたあの双眼鏡です。この後の横須賀軍港めぐりの為に持参してたようす。
うちのダンナは無口なんですが、軍港めぐりがここまで楽しみだったなんて、この時始めて知りました!
「キミキミ、私にもそれを貸し給え」ってな感じで見せてもらうと、ゴミのような黒い塊は全部鳥でした。
アップ画像が取れなかったので、パンフレットから抜粋した画像で。
「ウミウ展望台
三崎城ヶ島は鵜の鳥島よ 潮のしぶきで鵜が育つ
展望台より望む。赤羽根海岸東側の崖には、毎年10月下旬になると、ウミウ、ヒメウが遠く千島列島から渡来し、翌年の4月まで見る事が出来ます。
約1000羽にも及ぶ鵜の乱舞は、冬の城ヶ島の風物詩であり、白秋もまた野生の瑞々しさに深い関心を寄せ、その足跡が島中にあり、多くの創作活動をみることが出来ます。
城ヶ島の白百合の花大きければ 仰ぎてぞあらんあそびの舟は
城ヶ島のウミウ・ヒメウ及びクロサギの生息地 神奈川県指定天然記念物(地域指定)昭和35年5月31日指定
赤羽根海岸の東側に続く本の下の断崖は、幅約300メートル、高さ30メートルにわたり、波打ち際からの垂直の崖が人を寄せ付けないことから、鵜の群れのよい生息地になっており、冬季の生息地として、その地域が指定されています。
ウミウ、ヒメウはウ科に属する海鳥で、海上を泳ぎ、潜って魚を捕りエサとしています。ウミウはこの習性を利用して鵜飼に使われていることで有名です。両種とも冬鳥として渡来し、4月以降に本州北部、北海道以北に渡り繁殖します。繁殖期に近づくと足の付け根に白班が見られます。クロサギ(サギ科)は、留鳥として生息し、磯や干潟でエサをとります。城ヶ島でも繁殖が確認されており、本種の分布の北限と考えられています」立て看板より。
駐車場の近くに水仙ロードの入口が。この像が目印。ウミウですね。
ところがっ。鎌倉の材木座海岸を歩いた時は波打ち際を歩けて結構サクサクと進んだのに由比ケ浜から若宮大路(2010年4月10日)の記事、どうにも歩きにくい。ま。城ヶ島には砂浜はないから当り前なんですが。
城ヶ島の海岸はこんなんです。わかります?細かい貝殻のくだけたの中心。一歩進む度にずぶっと足が沈むんだよ~。時間がかかってたまらん。こりゃ、当初の予定の海岸沿いを歩いてたら、とっても時間がかかっていたってことか?そうなのかっ!?間違って正解だったのかぁあああ~~!!
わけのわからない葛藤をしつつ歩いてたら着いた。
「馬の背洞門
これは自然が作った海蝕洞穴で長い年月をかけて波浪、風雨等に浸食されてこのような見事な形となったものです。
地層は第三紀層、鮮新統、三浦層群に属し土質は凝灰質砂礫岩という軟かい岩質です。高さ8メートル、横6メートル、厚さ2メートルで、土地の人は「馬の背の洞門」のほか「めぐりの洞門」、「眼鏡の洞門」などと呼んでいます。
そのどの名前もみな洞門の形から推して名付けたものです。
明治の文豪、大町桂月はここを訪れて次のように述べています。「ーー馬の背に至る、怒濤脚下の巌を噛む、左は房州、右は伊豆、前には雲の峰聳ゆ、その雲の峰少し薄らぎて中より大島あらわる、馬の背はやがて馬の首となり、長巌海に突出し。云々
*落石等の危険があるため近づかないでください。 三浦市」
とあります。ぜひとも穴をくぐりたいのですけど、ダメって禁止されてます。
穴の向こうに房総半島が見えてます。
馬の背洞門を堪能し、またまた坂を登る。今までの坂の中で一番昇りやすい。例え所々岩の階段だとしても。
さすがに時間も経って、観光客が増えて来た。団体さんが降りてくる。む~ん。結構年配の老人も混じってるけど、体力は年じゃないからね。でも足元にはくれぐれも注意してね。
去年の夏中国は大連市を旅したのですけど、あっちの現地ガイドさんが「日本人元気。うちのおばあさんはよぼよぼで皆さんのように歩けない」って言ってましたが、私は(元気な老人が中国、しかも旅順へ来てるからそう思うんだよ。ヨボヨボの老人は海外旅行に来ないんだよ)と密かに胸の中で突っ込んでました。や。城ヶ島をサクサク歩いてる老人も充分体力あるけど~。
さて、馬の背洞門を上がると、先程の水仙ロードに戻ってきました。道なりに東へ。
と、見えてきたのはウミウ展望台。
城ヶ島訪問の目的の4つのうちの一つです。
「たくさんウミウいるね」と私が言いましたらば「え?どこっ!」とダンナが答える。
「あそこだってばっ!!」と言ったものの。確かに遠過ぎる。マイフェイバリットカメラの望遠で見ても、110ミリだと拡大してもウミウがゴミのようだ…。
するとダンナはおもむろに背のリックサックをおろし、彼のフェイバリット双眼鏡を取り出した。
「おおっ。いるねえ~」とごきげん。
旅順のホテルで中国軍の潜水艦を見てたあの双眼鏡です。この後の横須賀軍港めぐりの為に持参してたようす。
うちのダンナは無口なんですが、軍港めぐりがここまで楽しみだったなんて、この時始めて知りました!
「キミキミ、私にもそれを貸し給え」ってな感じで見せてもらうと、ゴミのような黒い塊は全部鳥でした。
アップ画像が取れなかったので、パンフレットから抜粋した画像で。
「ウミウ展望台
三崎城ヶ島は鵜の鳥島よ 潮のしぶきで鵜が育つ
展望台より望む。赤羽根海岸東側の崖には、毎年10月下旬になると、ウミウ、ヒメウが遠く千島列島から渡来し、翌年の4月まで見る事が出来ます。
約1000羽にも及ぶ鵜の乱舞は、冬の城ヶ島の風物詩であり、白秋もまた野生の瑞々しさに深い関心を寄せ、その足跡が島中にあり、多くの創作活動をみることが出来ます。
城ヶ島の白百合の花大きければ 仰ぎてぞあらんあそびの舟は
城ヶ島のウミウ・ヒメウ及びクロサギの生息地 神奈川県指定天然記念物(地域指定)昭和35年5月31日指定
赤羽根海岸の東側に続く本の下の断崖は、幅約300メートル、高さ30メートルにわたり、波打ち際からの垂直の崖が人を寄せ付けないことから、鵜の群れのよい生息地になっており、冬季の生息地として、その地域が指定されています。
ウミウ、ヒメウはウ科に属する海鳥で、海上を泳ぎ、潜って魚を捕りエサとしています。ウミウはこの習性を利用して鵜飼に使われていることで有名です。両種とも冬鳥として渡来し、4月以降に本州北部、北海道以北に渡り繁殖します。繁殖期に近づくと足の付け根に白班が見られます。クロサギ(サギ科)は、留鳥として生息し、磯や干潟でエサをとります。城ヶ島でも繁殖が確認されており、本種の分布の北限と考えられています」立て看板より。
駐車場の近くに水仙ロードの入口が。この像が目印。ウミウですね。
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