Various Topics 2

海外、日本、10代から90代までの友人・知人との会話から見えてきたもの
※旧Various Topics(OCN)

ウクライナ危機の理解は第二次世界大戦の裏を知ることから

2022年05月29日 | ナチスドイツとホロコースト・ホロコースト産業

2015年8月17日のブログ記事

ドイツと日本の戦後・朝鮮戦争のアメリカ軍戦車スクラップで作られた東京タワー - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

8月15日のハフィントンポストに興味深い記事がありました。 

ハフィントンポスト(2015年8月15日)
【戦後70年】奈良美智さんがドイツで驚いた「敗戦国の歴史認識」
http://www.huffingtonpost.jp/2015/08/15/yoshitomo-nara-no-war2_n_7991432.html
 

よく比べられるドイツと日本の戦後。 
ドイツの戦後について、歴史家の故トニー・ジャットが、朝日グローブの中のインタビュー 

第8回]1989年暮れ、ウィーン
南駅と西駅との明暗が ある使命感を、私に与えた
http://globe.asahi.com/author/090803/01_01.html
で、 

「もちろんドイツほど過去と向き合った国はありません。戦後、ナチス幹部は処断され、一般市民はナチスの蛮行を収めた映像を見ることを課されました。その一方、敗戦から数年後にもう西ドイツは「過去との決別」を宣言し、将校や公務員の過去調査を打ち切りました。官庁幹部、会社経営者、医師、教師など重要な職業で彼らはすばやく元の地位に返り咲いています。たとえば1951年の時点で、ある州では判事、検事の9割が元ナチス党員で、大蔵省職員でも7割がそうでした。復興には元ナチス党員の力が欠かせなかったからです。ドイツは、ヒトラーを(悪者として)世界に差し出すことで、処罰も道義的責任も逃れたのです。」 

「たとえばフランスでは、「ビシー政府症候群」と呼ばれる現象が起きました。南仏ビシーにあったナチス傀儡政府に協力したフランス人たちが、ナチスに協力した記憶を封じ込めてしまったことを指します。フランスに限りません。ナチスと妥協してしまった国では戦後どこでも、暗い記憶から目をそむけ、あるいは好都合な方向に記憶を変えるという現象が起きた。戦後の欧州は「悪いことは何も起きなかったことにしよう」という集団的記憶喪失の道を選んだのです。復興のためには、他に方法がありませんでした。」 

こう述べたように、ドイツおよびナチスドイツに協力した国において、必ずしも誇れるものでなかった時期がありました。 

(「反省がなかった」というのは、ナチス協力者でなくても同様のようで、たとえば、イタリア人作家のプリーモ・レーヴィが、彼がアウシュビッツからトリノに帰還中に(少なくない)ドイツ人達から反省を込めたまなざしではなく、下げずむような視線を送られたことを記しています。)

また、現在もネオナチがいたり、「ホロコーストを知らない」なんて言うドイツ人の子供、若者もいるというような話もあったりするので、過度にドイツを美化する必要はないとはは思います。(記事中奈良氏も、「ドイツが完全無欠に潔癖って言うつもりはない」と言っています。)

しかし、「ここ10年以上近隣国と争っている日本」と、「西側、東側とも敵対しないが別に媚びを売ることもなく、信頼を勝ち得ていったドイツ」、評価はもちろんドイツに軍配が上がるでしょう。 

(後略)

この時は、「西側、東側とも敵対しないが別に媚びを売ることもなく、信頼を勝ち得ていったドイツ」、評価はもちろんドイツに軍配が上がるでしょう。 」と書きましたが、今は、ドイツも、欧州全体でも、「ナチスドイツを利用して、戦後も栄えてきた人たちがいた」を追っていくのが、ひょっとしたら必要なのではないか、と思います。

これは、ウクライナ危機でユダヤ人、ナチスがやたらと取り上げられるようにしているゼレンスキー大統領、その前に欧州委員会のウルズラ・フォン・ディア・ライエンなどが出てくるおかげですかね。

ロイヤル・ダッチ・シェルも、ロレアル社も、

ロイヤル・ダッチ・シェルと貝 - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

ロレアル社創業者と娘婿とファシストグループ - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

 

IG・ファルベンインドゥストリー - Wikipedia

抜粋:

1947年、連合国軍によってIGファルベンの役職員23人が戦争犯罪の嫌疑で起訴され、翌1948年、クラウホをはじめとする13人に有罪判決が下された(IGファルベン裁判)[20]。最高刑は懲役8年であり、死刑となったものは存在せず、全員が刑期満了前に釈放された[20]。これはドイツ産業界を攻撃するのは国益を損なうという合衆国の判断によるものであった[20]。

連合軍軍政期にあって、IGファルベン国内工場の処遇は英米仏ソ各管轄に委ねられた。この点、アメリカのモーゲンソー財務長官らはIGファルベンの完全な解体を主張したが、ドイツの産業を復興させようとする国務省と国防省によって反対された[9]。結果、IGファルベン自体は解体されるものの、その解体はドイツ人の専門委員会によって、経済的な規範によって行われるという方針がとられることとなった[9]。

(中略)

1951年、IGファルベンは正式に解散した。しかし、これはIGファルベン自身が1940年に決めた再組織プランに基いた内容だった[24]。ソ連占領地区(のちの東ドイツ)の工場は人民公社に改組されるか戦時賠償として接収された。フランスも接収などの厳しい措置をとった。アメリカ・イギリス・フランス各占領地区では翌1952年にはバイエル、ヘキスト、BASF, アグフアなどの12社に分割されたが、やがてバイエル、ヘキスト、BASFの三社によって吸収されていった[20]。

IGファルベン本体の業務自体はIGファルベン清算会社に引き継がれた[20]。批判的株主と呼ばれるグループは戦時中の補償は後継会社であるバイエル、ヘキスト、BASFの三社が行うべきと主張しているが、三社はIGファルベンの後継会社ではなく新企業であるため補償義務はないと主張しており、補償を求める訴えには応じていない[25]。争点の行方はともかく、三社は要所で連携し、朝鮮特需で利益をあげ、その後はドイツ銀行の他にコメルツ銀行やドレスナー銀行をメインバンクとし、合理化と配当を実現し、アメリカ独占資本の計算で戦前に勝る成長を遂げたのである[24]。

(中略)

1948年10月21日、インターハンデルがGAF資産の返還を求めてアメリカの裁判所に訴えたが、証拠は提出しなかった。スイス連邦評議会はシュトゥルツェンエッガー銀行にある最重要書類の引渡しを禁止していた。1949年には、評議会が同行にある証拠書類を差し押さえた。GAF問題は在米スイス資産の返還要求について双務的に規定したワシントン協定 (Washington Agreement of 1946) の対象外であった。インターハンデルはシュミッツ家も動員してGAF資産を確保しようとした。1949年3月4日と12月21日、アメリカの検事長が所得税等(1929-1933年分)を求めて反訴した。両国は対立、インターハンデルの訴えは1953年と1956年に棄却された。1957年、合衆国最高裁判所はGAF資産が敵性資産であり、アメリカ政府の資産であると判断、審理を地区裁判所に差し戻した。同年、スイス連邦評議会は仲裁と和解を求める訴訟を提起するため国際司法裁判所に問い合わせた。1959年3月、国際司法裁判所は、米最高裁で最終判決が下るまでは応じられないと回答した[26]。

1962年アルフレート・シェーファー (Alfred Schaefer) がスタニスワフ・ラジヴィウ公爵 (Stanisław Albrecht Radziwiłł) を雇い、公爵の(リー・ラジヴィルを介した)義兄弟ロバート・ケネディと接触させた[27]。シェーファーは1931年スイス・ユニオン銀行(現UBS)へ入社、1964年から1976年まで同行会長を務めるが、1957年から1967年までインターハンデルの重役でもあった[28]。1963年12月10日ケネディとシェーファーらインターハンデル重役が会談し、和解案に合意した[29]。1965年3月、政府保有のGAF株1116万6438株(93.3%)がブライス商会 (Blyth, Inc.) を主幹事とするコンソーシアムに売却された。売上金の分配は次のようになされた。まずアメリカ政府が接収前から保有していた11%分を当然に米政府のものとした。残り89%分をアメリカとインターハンデルの間で等分するが、先立ってインターハンデルが米政府へ税金・配当金として2400万ドルを支払っておくものとされた[30]。

(中略)

1984年5月23日フランクフルト地方栽培所は、ドイツの主権を回復させた1954年10月23日の条約を根拠として、清算会社の請求を退けた。他の請求権についてもスイス法では時効であるとした。清算会社は時効を争って控訴したが、フランクフルト上級地方裁判所はそれを棄却した。裁判官は、「レース報告」の改訂版における脚色を認定しながらも、脚色依然の事実を示すであろう重要書類を証拠として採用しなかった。清算会社は最高裁へ上告した。最高裁は1954年条約が訴えの利益を否定できないとして、1986年11月17日に下級審へ差し戻した。1988年3月22日、フランクフルト上級裁判所は時効を理由に訴えを棄却した。IGファルベンとケミーの間における信託契約の痕跡が何も立証されなかったというのである。加えて判決文には、「ことによるとインターハンデルは、米国に負担をかけてGAF資産から不当な利益を得たことになる」とも書かれていた。12月20日、最高裁が上告を認めずに清算会社の請求を棄却した。2004年11月11日、清算会社は破産申請した[34]。

 

参考:

ナチスとアメリカ企業の協力関係 ~ヒトラーを支援していたアメリカ国内の「親ナチス派」の実態~ (client.jp)

ロイヤル・ダッチ・シェルと貝 - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

ロレアル社創業者と娘婿とファシストグループ - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

ドイツのホルツブリンク出版グループ創始者-『ネイチャー』と『ディア・シュピーゲル誌』と村中璃子氏 - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

ゲオルク・フォン・ホルツブリンクの戦前戦後・Holtzbrinck & Bertelsmannと情報科学技術業界とのスクラム - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

欧州とユダヤ人-3(Warburg familyとAlbert Ballin) - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

ヒトラーに出資したウォーバーク家?-「戦争は作ることができる」との警告本 - Various Topics 2 (goo.ne.jp)

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「住」は「身の程」を知るこ... | トップ | ロイズ銀行創業者の一人ジョ... »

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

ナチスドイツとホロコースト・ホロコースト産業」カテゴリの最新記事