Various Topics 2

海外、日本、10代から90代までの友人・知人との会話から見えてきたもの
※旧Various Topics(OCN)

正義の人

2011年09月09日 | 友人・知人

数年前、ボランティア・コーディネートの仕事をしていたときに、心の病を持っている若い女性Aさんに絵を教えるボランティアBさんから、こんな話を聞いたことがありました。

「Aさんと美術館に行った時、窓口に美術館のお仕事申し込みの紙がおいてあったんです。それを見たAさんは、早速申し込みをしようと受付係りの人に、「私は○○病なんですが、アルバイトの申請ができますか?」って聞いたところ、係りの人は急いで人事担当の人を呼びに行き、最終的には職員が4人も集まってAさんを取り囲み、「もし、急に発作がでて、絵を引き裂いたでもしたら・・・」とAさん本人の前で言う人まで出る始末。

Aさんは青い顔をして、「アルバイトの申し込みはしません」と言って逃げかえってきたんですが・・・私はもうAさんが可哀相なのと、職員の人たちの仕打ちが許せなくて・・・。」

この話をしていたBさんは、もう怒りすぎて泣き出しそうな面持ちでした。

この話を聞いて私は、市の福祉関係の部署の顔見知りと、精神障害者を支援するボランティアグループのリーダーに話を伝えました。

が、Aさん自身がこのことを大ごとにするつもりもなく、そして大ごとにしたところで、Aさんの傷が深くなるので、この話はそこで終わりにしました。

さて、この話をどうして書いたかというと、最近ブログに男性Cさんからご連絡を頂いて、意見交換をしていたからです。

彼は非常に正義感が強い方で、勤め先や個人の出来事での不正、倫理に反することを正していこうとしている方です。純粋であるがゆえに、摩擦も起こすことが多い-しかし、それでも「反感を恐れずに立ち向かわないと、何も変わらない。子供の頃は、常識を 善悪の基準で判断していたのに、 大人になると、常識を 人目損得の基準で判断してしまうが、それで良いのか」という気持ちが強く、信念を貫きとおす人です。

「正義感が強い、倫理に反することは正さなければならないと思う」という点では、私も負けないのですが、私は、実害が大きくないこと、動くことで逆に正論者、被害者の立場や現状を悪くするだけのことについては動きませんし(意見、助言、情報提供はする)、基本的には相手を追い込める「北風」でいるよりも、相手を理解しながら(時に理解するふりをすることも)粘りながら相手を変える「太陽方式」の方が、良い結果を生むことが多いと思っています。

もちろん、「緊急性」が高いもの、「重要度が高いもの」についてはこの限りではありませんが。

そして「正義の戦い」が、自分の観点からだけであるとしたら、無駄に敵を増やし、そのほかにも思わぬ副作用を生んでしまうこともあることもあるので、やはり、「ま、これは我慢してしまおう」と思ってしまうこともあります。

その結果、Cさんにとって、私は物足りない、もう少し言えば、ちょっと「ずるく」感じるのかもしれません。

さて、先にCさんの言葉のなかで、「“常識”を“人目”や“損得”で判断」というのがありましたが、これは即ち、「“常識“=”多数派“=“善”」と決めつけて本質を見ようとしない人たちへの疑問の言葉であるでしょう。

これに対しては、私は時に日本人のネックであると思いますし、それだからこそ、Cさんのような人は貴重だと思います。

昨夜、Cさん宛に書いたメールの末尾に、

「脅かされず、踊らされず、踊る」(国際政治学者の故秋野豊氏が残した言葉)と、書き添えました。

これは「(自己の)損得を基準に物事を判断せず、流されず、自分の信念に従う」という意味にも取れる言葉であり、これを、Cさん初めとする有名、無名の志士たちに送りたいと思います。

コメント
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