Various Topics 2

海外、日本、10代から90代までの友人・知人との会話から見えてきたもの
※旧Various Topics(OCN)

S氏とパリの住人達

2010年04月01日 | 友人・知人

4月の終わりに夫と二人でパリに旅行に行くことにしました。

私のフランス旅行は6回目でパリは4回目です。とはいえ、パリ滞在はいつも駆け足。今度の旅行ではゆっくり観光名所以外も見て周りたいと思っています。

さて、私がフランスに初めて行ったのは1983年。この時はロンドン・パリ10日間のフリーのパッケージツアーでしたが、相方の従姉の友人が留学していたので、パリに着いた翌日にホテルにスーツケースを置いたまま、従姉は2泊、私は1泊でディジョンまで行ったりもしました。

この時私が一日早く帰ったのは、パリ首席駐在員のS氏に出張者を交えた夕食会に招かれていたからです。(従姉はこれを辞退。)

このS氏ですが、彼と私は仕事上接点がなかったので、従姉と一緒にパリ初日に事務所に挨拶に行ったときが初対面でした。

一見『教授風』ですが、実は暖かい人柄のS氏。リヴォリ通りに面した中庭のある古い建物の中は居心地がよく、「これぞ異国」と陶酔していると、そこにフランス人秘書のD嬢がコーヒーを入れてきてくれました。そのD嬢、にっこり微笑みながらコーヒーを配り終えると、彼女もS氏の隣に。

「彼女は日本語はできないけど、英語はOK。英語でしゃべりましょう。」-当然、通訳をしてくれるだろうという期待を裏切って、S氏は会話をすべて英語に切り替えてしまいました。 私の隣の従姉は『石』になり、私もS氏やD嬢の英語の問いかけには”Yes””No”で答えるくらい。

自分からD嬢に話かけるのはせいぜい、“
Do you like O-senbei?”なんていう初級英会話教室のような会話。そのマヌケな質問にお土産のお煎餅をバリバリ食べながら、D嬢は表情豊かに答え楽しそう。

「日本語の分らない外国人の前で、日本人だけが母国語で話すのはマナー違反なんだ。」S氏は後でそう言いました。

そして夕食会当日。ディジョンから間違って鈍行に乗ってしまった私がパリに到着したのはもう薄暗くなってから。ホテルに戻ってあわててS氏に電話をし、「今からホテルを出ますが、タクシーで伺います。」という私に、「地下鉄で十分。地図は渡してあるから、一人で来れるでしょう?」とばっさり。

「せめて駅まで迎えに来てくれても・・」とちょっと恨めしく思いながら地下鉄の駅を出ると、車は通れど通行人はいません。街灯の下に物売りのアフリカ系の男性が一人。地図をどうひっくり返しても目印の建物がわからず、その男性に恐る恐る尋ねに行くと彼は英語も分らなければ地図も分らないというそぶりで、駅から出てきた老婦人に声をかけてくれました。

その老婦人も一緒になって地図を見るけど分らず。その時一台の車が止まり、中から東洋人らしい上品な女性が電話をかけるために降り立ちました。運よくこの女性は日本人だったので彼女に助けてもらい、
3人に見送られて無事S氏のアパートへ。(この日本人女性は翻訳家の朝吹登水子さんに似ていましたがまさか・・。)

アパートにたどりついた私を最初に迎えてくれたのはアパートの陽気な管理人さん。S氏から私のことを聞いていたようで、何も言う間もなく私をエレベーターに案内して階数のボタンを押してくれました。

「良く来た。良く来た。」と玄関で私を出迎えてくれたS氏-私がたどり着くまで大変心配していたと奥様が暴露。スパルタ方式のS氏も、ポーカーフェイスも限界だったようです。

あれから27年。S氏、パリで会った人達の思い出は色褪せることもなく、心の内で『お守り』となっています。

コメント
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