「福岡・アートの旅 初日のこと(その1)」のつづきはJR鹿児島本線の東郷駅から始まります。
エキナカで「宗像フェス」のフライヤーを入手して、来られない寂しさを慰めたのち、宗像大社辺津宮(へつみや)を目指しました。
宗像大社は、基本的に3つのお宮で構成されています。公式HPから引用しますと、
宗像大社は天照大神の三柱の御子神をおまつりしています。三女神のお名前は 田心姫神(たごりひめのかみ)、湍津姫神(たぎつひめのかみ)、 市杵島姫神(いちきしまひめのかみ)と申し上げ、田心姫神は 沖津宮(おきつぐう)、湍津姫神は 中津宮(なかつぐう)、市杵島姫神は 辺津宮 (へつぐう)におまつりされており、この三宮を総称して「宗像大社」と申します。
ということで、この辺りは事前の知識&予習で承知していましたが、東郷駅から宗像大社辺津宮(以下、単に宗像大社と略します)までの「足」については、「うまい具合に路線バスがあればそれで行こう、もしバスがなければ歩いて行こう」と考えていました。
ところが、鹿児島本線の列車内で路線バスの時刻表を見ると、1時間に1本くらいしか走っていないし、私が東郷駅に到着する12:40頃だと、次のバスは13:23
40分間もバスを待つなんて時間がもったいないわけで、じゃ歩くか と思ったのもつかの間、車窓から見えた道路上の案内標識によれば、東郷駅から宗像大社までは5kmもあることが察せられました。
この炎天下、5km歩くなんて無謀すぎます。
一昨年のGWに、那智駅から熊野本宮大社までの7.4kmを歩いた私ですが(記事はこちら)、あの時は雨の降る春だったし、何よりも「熊野古道を歩く」という明確な目的があったわけで、かなり事情が異なります。
結局、仕方なく、東郷駅からタクシーに乗って宗像大社に向かいました。
ちなみに、私が旅行中にタクシーを使うのはかなり珍しく、去年の7月に茅野駅から諏訪大社上宮本宮まで乗って以来(記事はこちら)のことでした。
エアコンの効いたタクシーに乗ること10分弱(運賃は1,600円)で宗像大社に到着
駐車場が広ぉ~い
この祈願殿前の駐車場(第1駐車場)の他、第3駐車場まであるのだそうな。
寺社の駐車場としては日本最大級ではなかろうか?
ちなみに宗像フェスの際には、この第1駐車場が公式駐車場(無料)になるのだとか。ただし、第1駐車場から会場(神湊海水浴場)までは結構距離があるようで、東郷駅からも運行されるシャトルバス(こちらは有料)を利用する必要がありそうです。
終了後の渋滞が酷そう…
ご参考まで。
それはさておき、お参りする前に、バス停の場所と帰りのバス便を確認。
この時点で13:00でしたから、帰りは14:35の天神行き特急バス(ホテルは天神・大名地区なのですが、荷物が博多駅のコインロッカーに入っている)か、15:22の東郷駅行きですな。この確認って大事です。
それにしても、良すぎる天気
入道雲が輝いて、まさしく夏
入道雲の真下で起こること、、、、そこまでは頭が回っていなかったこのときの私でありました。
さて、巨大な手水舎で手を洗い口を漱いで、
神門をくぐって、、、と、その前に、神門前の狛犬に注目
一昨年11月の福岡旅行(例の台風に見舞われた旅行)で、櫛田神社の狛犬が、
櫛田神社の場合、「向かって左側」こそ「角ありの『吽像』で狛犬」ながら、「向かって右側」も「角ありの『阿像』で狛犬」
と、狛犬ペアだと知って驚いた(狛犬&獅子か、獅子ペアの神社が多い)のですが(記事はこちら)、宗像大社も「狛犬ペア」でした
福岡の神社では「狛犬ペア」が普通なのでしょうかねぇ
で、獅子・狛犬ファンの私は、まず向かって左側の吽形の狛犬をしげしげと鑑賞
青銅製で立派な狛犬だなぁ~と観ていると、んん? 右後ろ足に文字が刻まれています
採録しますと、
本藩博多住
鋳工 山鹿平十郎包永
仝 喜平包矩
旹文政七甲申年九月吉辰
とあります。
1824年9月(太陽暦では10~11月)に、博多の鋳物師・山鹿平十郎包永と山鹿喜平包矩が製作したもののようです。
山鹿平十郎包永について、こちらのサイトによれば、
近世の博多の鋳物師としては大田(太田)、柴藤、山鹿、礒野、深見の五家が知られている。元禄十二年(1699)、福岡藩は筑前国中の釜屋座・鉄問屋を博多九人、甘木一人の十人に定めた。しかしながら上記五家を始めとしたその鋳造品の現存例は数少ない。ことに寺院の梵鐘・殿鐘・喚鐘類は戦時下の金属供出のため二十数例をしか数えない。
山鹿平十郎包永には妙正寺(東区多々良)の喚鐘、宗像大社(宗像郡玄海町)の狛犬、勝福寺(福岡市西区今津)の燈籠・燭台・花瓶、香炉などいくつかの作例が知られる。
だそうです。
鋳物師のお二人の名前には共通して「包」の文字が入っていますが、このお二人に限らず、近世の金工関係の職人には「包」を含む名前が多いものです。「包=かね」だからなんだろうなと推察しますが、裏はとれておりませんのであしからず
グリングリンのお髪の表現・細工がよござんすなぁ
高麗狗ノ尾先年盗難罹リ貌ヲ損ス今般記名寄附者ノ子孫ニ議リ資財ヲ募リ以テ再鋳ス
一丁時明治十七年六月
ということで、裏側から尻尾を見ると、
確かにろう付けした跡があります。
その横の銘によると、初代を既出の山鹿平十郎包永が製作した後、包永の孫・包輝が再建し、さらに佐藤さん(名前は読めず)が再建したのだとか。
阿形の狛犬さんは苦労されたんですなぁ…
「尻尾のない狛犬」だなんて、さぞかし恥ずかしかったことでしょう。
こんな経緯を知って阿形の狛犬のお顔を拝すると、
何をするんだぁ~~
と叫ぶ悲嘆の表情に見えてきます。
それにしても、狛犬の尻尾だけを盗むとは、何と罰当たりなことをしたものでしょう。
犯人は、良い死に方をしてないだろうな、K.I.T…
ということで、次編では神門をくぐります。
つづき:2016/08/15 福岡・アートの旅 初日のこと(その3)