昨日、猛残暑(こんな言葉、あるのか?)の中、目白台界隈をプラプラと歩きました。
目的地は、こちら、
旧熊本藩主細川家伝来の美術品、歴史資料や、16代当主細川護立の収集品などを収蔵し、展示、研究を行っている (Wikipediaより)
という永青文庫です。
細川コレクションは、2010年5月に東京国立博物館で「細川家の至宝-珠玉の永青文庫コレクション-」(記事はこちら。リンク先がメタメタですのでご注意方)、去年のGWに熊本県立美術館で「細川コレクション 永青文庫の至宝展」(記事はこちら)と、2回にわたって堪能したわけですが、ご本家「永青文庫」には一度も行ったことがなく、昨日は下見として出かけたしだいです。
昨日の「永青文庫」のことは追々書くとして、きょうのテーマはタイトルどおり「またまた国立大学の話」です。
永青文庫はあまり交通の便の良くないところにあって、公式サイトでは、
●JR目白駅前より都営バス新宿駅西口行きにて、「椿山荘前」下車 徒歩5分
●東京メトロ 有楽町線「江戸川橋駅」下車 出口1aより徒歩15分
●東京メトロ 副都心線「雑司が谷駅」下車 出口3より徒歩15分
と紹介されています(不動産広告でいう「3駅利用可」ってヤツ)。
しかも、界隈はかなり起伏に富んだ地形ですので、地図で見る以上に歩くと厳しかったりもします。
私は、公式なお薦めルートではなく、
最寄り駅⇒JR埼京線⇒池袋駅⇒東京メトロ有楽町線⇒護国寺駅⇒徒歩⇒永青文庫
のルートを採りました。(埼京線が人身事故でダイヤがメタメタ)
「非推奨」のルートを採ったのは、「なんちゃってiPhone」(記事はこちら)の経路探索でこのルートが出たからというだけで、深い意味はありません。
さて、護国寺駅(初めて降りた)からのルートは以下のとおり。
大塚警察署前交差点を右折して、首都高速5号線の下を抜け、急な坂を登る途中、右手に大塚警察署の仮庁舎があります。
大塚警察署は、プレハブ造りの急ごしらえの庁舎なのですが、その脇に、歴史を感じさせるスクラッチタイルが貼られた壁が見えました。
かなりアンバランスです。大塚署の仮庁舎が建てられる前には何があったのだろうか?と考えながら先に進むと、大きなヒントが現れました
「東京大学総合教育研究施設」の表札が掲げられた門と、その奥に広がる更地
かつて守衛詰所だったらしい建物も、かなりレトロ
それにしても、この広大な土地は何の跡地で、どうしてこんな更地のまま放置されている(ようにしか見えない)のでしょうか
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Googleマップでは建物が写っていますが、現在は更地になっています。
「東大分院」というからには、東大附属病院の分院でもあったのでしょうか?
帰ってきてから調べると、Wikipediaに答が出ていました。
東京大学医学部附属病院分院は、東京都文京区にかつてあった大学病院である。小石川分院とも呼ばれるが、所在地は小石川植物園などとは隔たった目白台である。
医術開業試験の試験場として設立された通称「永楽病院」が前身である。当時は患者を無料で診療していたが、医術開業試験の廃止に伴い東京帝国大学へ移された後に順次有料化された。1952年(昭和27年)に胃カメラが開発された地である。
1897年7月 - 内務省医術開業試験場として設立(東京市麹町区永楽町一丁目2番地)
1903年3月 - 医術開業試験の移管に伴い文部省へ移管
1908年6月 - 現在地(小石川区雑司が谷120番地、現 文京区目白台3-28-6)に移転
1917年8月 - 東京帝国大学へ移管、医科大学附属医院分院となる
2001年4月-9月 - 医学部附属病院へ段階的に統合(病院としては6月22日に閉院)
閉院後の建物は、本郷キャンパスの改新築に伴って諸部局が一時待避するなどしている。将来的には外国人研究者・留学生向けの宿舎や文系の研究所を建設する計画がある。
だそうな。
また、こちらのブログも参考になります。
こんな良い土地を更地のまま保有しているなんて、さすがは予算潤沢な東大だけのことはあるな…と皮肉交じりで思う私であります。