新・徒然煙草の咄嗟日記

つれづれなるまゝに日くらしPCにむかひて心に移りゆくよしなし事をそこはかとなく紫煙に託せばあやしうこそものぐるほしけれ

今年2度目の関西遠征 ダイジェスト #2-4

2022-03-30 10:39:41 | MISIA/旅行記

「今年2度目の関西遠征 ダイジェスト #2-3」のつづきです。

「教育塔」を見学したあと、大阪府警本部前の交差点で上町筋を横断し、大阪歴史博物館 & NHK大阪放送会館の1階を通り抜け、ベンチでひと休み。
NHK大阪放送会館を見上げると、

なんとも賑やかで、いかにも大阪っぽい

さて、ボチボチ行こか、と谷町四丁目駅を目指して歩いて行くと、大阪合同庁舎が活況を呈していて、平日のワーキングアワーなのだと思い起こさせてもらいました。
と、この辺りの歩道のコンクリートタイルの模様がおもしろい

野球場をデザイン化したとしか思えないのですけど、それがどうしてこういう場所に使われているんでしょ?

それはともかく、谷町四丁目駅から大阪メトロ 中央線に乗り、本町駅四つ橋線に乗り換えようとすると、

なんか珍しい光景

かつては線路に向かい合うように置かれていたプラットフォームのベンチが、ベビーカーや酔客の転落事故を防ぐため、線路と平行に配置し直す駅が首都圏でも徐々に増えているけれど、それにしても、一列縦隊に椅子が並んでいる光景は珍妙です。なんだか順番待ちをしているみたい
もっとも、「ウイズ・コロナ」の時代には合ってますけど…。

   

地下鉄を肥後橋駅で降りて、フェスティバルホールに着いたのは14:10頃でした。

ホールの入口にはワクワクした雰囲気の多くの聴衆が集まっていましたが、、、あれ? まだ開場していない Why?

と、スマホのスケジュール表を見ると、、、あれま 私が開場・開演時刻を30分早く間違えてた
でも、逆に遅く間違えていなくて良かった…

そんなわけで、30分間ほど、フェスティバルホール周りで時間をつぶしたのですが、錦橋のたもとにこんなのを見つけました。

「浪華橋々繁盛見立相撲」とあって、「橋」の番付です。

これによると、最高位東の大関天神橋で、次いで西の大関難波橋

「横綱は?」とお思いの方もいらっしゃるでしょうけれど、この番付江戸時代末期の天保期のもので、当時、「横綱」「階級」ではなく「尊称」みたいなもので、番付に「横綱」が最初に載ったのは、大坂相撲が1868年(明治元年) 7月場所、東京相撲が1890年(明治23年) 5月場所だったそうな (Wikipediaより)

ちなみに、私、幼少のみぎりの愛唱歌は、祖母の影響を強烈に受けて、「王将」でして、

生まれぇ浪華ぁ~の 八百八橋ぃ~

と歌っては祖母とそのババ友たちから喝采を受けたものでした

「八百八橋」といえば、この番付に載っている橋の数は、808とはほど遠い250でございます

   

こうして時間をつぶしたあと、フェスティバルホール入場

そして、ホワイエへ上がると、こんなボードがありました。

そう、この日の 1st Stageが、「MISIA星空のライヴ ACROSS THE UNIVERSE通算100公演目だったのであります。
私、最初の緊急事態宣言発出(2020年4月7日)以降のMISIA公演として100公演目だった2021年12月12日の「MISIA星空のライヴ」東京公演 1st Stage にも参加しておりまして(記事はこちら)、幸いにも、しっかりと節目を押さえております

この日の私の座席は、前夜の席の二つ隣り
両日とも「グループ・ディスタンス」の座席配置でしたから、実質「隣り」です

この「良席から、前夜(記事)からの宿題となっていた「本編でのMISIAのネイル」を確認いたしました
すると、「MISIAのネイルは本編・アンコールとも同じでした。
それにしても、ステージ上のMISIAのネイルを注視したのは初めてでした 普段なら気にも止めないし…。

で、この日のライヴも、よかったぁ~

「曲数が少ない」なんて不満も散見されて、その気持ちは判るけれど、でも、ライヴが濃いなぁ~ と思います。

グループ・ディスタンスを確保した座席数を考えれば1日2公演も納得できるし、1曲1曲を全身全霊で歌うMISIAのことを考慮すれば、この曲数もやむを得ないと思うし、私としては満足です。

さはさりながら、今後のコロナの状況にもよりますが、河口湖ステラシアターでの「MISIA CANDLE NIGHT 2022 PEACE OF MIND」とか、7月東京と長崎での「MISIA星空のライヴ」追加公演は、フルサイズになるのではないかと期待しています。

   

ライヴ終了後、私は、地上を歩いて大阪駅へと向かいました。
途中、あの忌まわしい事件の現場前を通るときは、犠牲者のご冥福を祈って…

事件から3カ月以上経っても、現場となったビルは閉鎖されたままでした。
それにしても、こんな理不尽なことが起こるなんて…。
心が痛みます。

大阪駅でコインロッカーから荷物を取りだし、JR京都線(新快速)に乗って京都へ。

そして、京都駅八条口から5分ほど歩いて、19時前にホテルに到着しました。

予想外にオシャレエントランス、予想外に動線の長い、予想外に机の無い(テーブルはある)ホテルで、こういうところに泊まるのは初めて
かなり斬新なホテルなんですが、その周りは、住宅がほとんどで、京都駅から徒歩5分でこんなに「地方都市然」としてしまうとは と、京都の飾らない側面を視た気がしたのでありました。

夕食京都駅近くまで戻って一杯やりましたとさ。

つづき:2022/03/31 今年2度目の関西遠征記 #3-1 

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