新・徒然煙草の咄嗟日記

つれづれなるまゝに日くらしPCにむかひて心に移りゆくよしなし事をそこはかとなく紫煙に託せばあやしうこそものぐるほしけれ

埼玉県立近代美術館の企画展は今回も当たり(後編)

2016-03-06 22:01:18 | 美術館・博物館・アート

「埼玉県立近代美術館の企画展は今回も当たり(中編)」のつづき、「原田直次郎展-西洋画は益々奨励すべし」見聞録の完結編です。

毎日新聞にこの展覧会のが載っていまして、はこんな感じ。

帰国後の原田は、西洋絵画を排斥する風潮と戦わなければいけなかったという。護国寺蔵「騎龍観音」や焼失した「素尊斬蛇」にすごみを感じるものの、展示されている肖像画や風景画はどこかおとなしい。何がドイツ時代の輝き、力強さを奪ってしまったのか、考えさせられる。

この評は展覧会に行く前に読んだのですが、実際、原田直次郎(以下、「直次郎」)の作品を拝見すると、確かにその感があります。

「靴屋の親爺」の他に、観て気に入った作品、「老人」とか、

「神父」は、

みんなドイツ留学時代、つまり画学生だった時の作品で(どれも「毛」の描き方が見事)、帰国後の作品は、代表作「騎龍観音」を含めて、ちょっと精彩を欠きます

上の毎日の評に登場する「素尊斬蛇」は、関東大震災焼失してしまった作品で、「騎龍観音」同じ路線の作品(だと思う)ですが、その習作とされる「素戔嗚尊八岐大蛇退治画稿」素戔嗚尊すさのおのみこと八岐大蛇やまたのおろち)なんて、

絵の左下部分に、カンバスを破るように顔を突き出すが描かれています。

図録では、

一見して奇異に映るのは、画布を突き破って顔を覗かせているである。なぜこのようなだまし絵的な描写がなされたのかその真意は不明であるが、もしかすると原田は、荘重な神話画であっても所詮は画布に描かれた絵であること、つまり絵は絵でしかないことを伝えたかったのではないだろうか。

とありますが、私には、直次郎ダダイスムに見えます。
美術史的には、ダダイスム誕生の20年前(1895年)の作品なんですけど…

1887年、ドイツ留学を終えて直次郎が帰国した年は、「日本最初の美術教員・美術家養成のための機関」(Wikipedia)東京美術学校(現在の東京藝術大学)が設立された年でもあります。

洋行帰り貴重視されたのかと思いきや、当時の美術界岡倉天心東京美術学校の立役者)らによる日本美術の復興を目指すムーヴメントの真っ盛り
新設された東京美術学校では西洋美術「蚊帳の外でした。
天心贔屓の私としては、明治維新以降の圧倒的西欧偏重主義の中では、「日本的なもの」を残すべく、アファーマティブ・アクションが必要だったと考えるのではありますが、留学で西洋画を基礎から修めてきた直次郎にしてみれば、「ちょっと、それはないだろと考えるのも無理はありません。

直次郎は、この展覧会のサブタイトルにもなっている「西洋画は益々奨励すべしと、論陣を張ると共に、1889年には画塾「鐘美館」を開いて西洋画の普及に努めたのですが…。

1893年頃に病臥に伏して、1894年にミュンヘン留学に影響を与えた兄・豊吉33歳の若さで死去(労咳)1895年に鐘美館を閉鎖、1898年に療養のため子安(横浜)に転居、そして、1899年12月26日脊髄労および肺結核のため死去
お兄さんよりは長生きしたとはいえ、36歳での早世です。

しばしば直次郎を訪れていた親友・鴎外は、1899年6月から第12師団軍医部長として小倉に赴任(左遷)中(下の写真は旧第12師団司令部の正門)。

鴎外の同年12月29日の記述(小倉日記)です。

夜原田直次郎の訃に接す。云ふ12月26日午前8時40分死し、28日午後1時天王寺に葬ると。隆蔵熊雄の2幼児名を署せり。曩には吾母原田の入院を聞き給ひて、自ら東京大学第一病院を訪ひ給ひしに、その第二医院に在るを以ての故に、相見ることを得給はずして還り給ひぬと云う。洵に悔恨すべし。雨窓の灯下黯然たること久し。

直次郎の最期を看取ることのできなかった鴎外の悔しさ・悲しみが伝わってきます。

   

この展覧会、直次郎の作品自体はさほど多くありません。
早世した上、帰国後は洋画の冷遇やら本人の病気に加えて36歳で亡くなっていますから、作品数自体が少ないのですから仕方のないことかもしれません。
でも、直次郎に影響を与えた画家、直次郎から影響を受けた画家の作品が資料と共にふんだんに展示されていて、かつ、図録読み応え&資料的価値がたっぷりで、とても勉強になる展覧会だったと思います。

原田直次郎 西洋画は益々奨励すべし
埼玉県立近代美術館,
神奈川県立近代美術館葉山,
岡山県立美術館,
島根県立石見美術館
青幻舎

ただ、「騎龍観音」と、ユリウス・エクステルによる「ある日本人の肖像」は展示して欲しかったな…
(この展覧会&巡回展用に制作されたという下ビデオ作品力作です

鴎外が所蔵していたという直次郎の作品「蓮池」が展示される後期(3月8日~、前期は同じく鴎外の所蔵だった「風景」が展示されていました←過去形)にも、もう一回出かけてこようと考えています。

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