新・徒然煙草の咄嗟日記

つれづれなるまゝに日くらしPCにむかひて心に移りゆくよしなし事をそこはかとなく紫煙に託せばあやしうこそものぐるほしけれ

良弁僧正1250年御遠忌慶賛遠征記 #2-6

2023-10-24 11:15:05 | MISIA/旅行記

「良弁僧正1250年御遠忌慶賛遠征記 #2-5」のつづきです。

「MISIA PEACEFUL PARK」限定グッズを買えなかったことで、自然、2度目の出撃のメインは、東大寺ミュージアムとなりました。

エントランスを入ると、超横長のスクリーンで東大寺の歴史を紹介する映像が繰り返し流されています。
こういった映像は素通りすることの多い私ですが、時間に余裕もあることだし…と拝見しました。
大仏造立の際、聖武天皇が人々に「一枝の草、一把の土を持て像を助け造らん」と呼びかけたことは知っていましたが、当時の人口が600万人弱だったこと、その約半分の人々が大仏&大仏殿の造立に関わったことは初めて知った気がします。
そして、この映像の最後にあったフレーズ、

あなたのご先祖様も大仏さまの造立に関わったかもしれません

には軽い衝撃を受けました。
冷静に考えれば、総人口の半分の人々が大仏さま造立に関わり、それから1300年近く経っているわけですから、渡来系でない限り、ご先祖様の誰もこの事業に関係しなかった確率はほぼゼロです
そうして考えると、私にとっても、大仏さまは他人事ではありません

さて、東大寺ミュージアムでは、「東大寺開山良弁僧正1250年御遠忌記念」として、特別展示「良弁僧正と東大寺」が開催されていました。

正直、私にとっては、この特別展示よりも、常設展示されている「金銅八角燈籠火袋羽目板(鈸子)」とか、

「西大門勅額」、そして何といっても、「日光菩薩像」「月光菩薩像」の方を興味深く拝見しました

日光菩薩像」「月光菩薩像」を拝見したことで、創建当時に法華堂内を構成していた(「#2-2」をご参照方)という不空羂索観音菩薩像(法華堂)、四天王像(戒壇堂)と合わせてコンプリートできました

そうだそうだ

東大寺大仏殿前庭には、「東大寺開山良弁僧正1250年御遠忌法要」のために七重宝樹」らしき柱が立てられていたのですが、同じ形のものが、昔々の大仏殿前庭での儀式を描いた絵図にしっかりと描かれていました

思いつきではなくちゃんと根拠のある荘厳(しょうごん)だったんですな、当然ながら…

   

東大寺ミュージアムを観覧したあとは、再びホテルに戻り、この日集まった資料を整理したり、天気予報を見てヤキモキしたりして過ごしました。
なお、この日の「MISIA星空のラジオ~Sunday Sunset~」は、前週のアンコール放送だと知っていたので、聴きませんでした。

前夜の「MISIA PEACEFUL PARK」では、かなり寒かったので、パーカーを持ってこなかったことを後悔しながら、Tシャツ2枚重ね着して、「使わずに済む」ことを願いつつもこの遠征のために新調したポンチョをバッグに入れ、18:00ちょい過ぎに、この日3度目の東大寺大仏殿へと出発したのでした。

東大寺方面に向かうバスに乗ったは良いけれど、路線を間違えてしまって真っ暗な初めて歩く道を含めて大仏殿を目指して歩いたこととか(ダイジェスト)前夜の轍は踏むまい とあらかじめスマホに電子チケットを表示した状態で入場口に並んだのに突然電子チケットが消えたこととか(#M-3)アクシデントはありましたが、開演には余裕を持って間に合い、席につけて良かった良かった…

もともと野外ライヴにはあまり行かない私ですが、野外ライヴで雨に遭ったのはこれが3回目でした(屋根のある河口湖ステラシアターは除く)
開演前に土砂降りになり、傘をさしてもジーンズグショグショになった長崎・稲佐山での「星空のライヴIV」とか、「LUVE PARADE」でジャンプしたら着地でズルッと滑った山中湖での「星空のライヴIII」とかに比べれば、今回は別次元のように穏やかな雨でした。
長崎のときは、ライヴが始まる頃に雨が上がったものの、終演後のオフ会のあいだじゅう、ぐしょ濡れのジーンズ不快極まりなかった(ひざを曲げたくなかった)記憶がありますから…

逆に、今回は、照明に照らされた細かい雨が美しく見えたりして…

また、2枚重ねのTシャツの効果か、ポンチョのおかげか、寒さを感じることもありませんでした

ここしばらくMISIAのライヴに行った後、ちょくちょくTweet (現 post)している「MISIAのおことば」、この日はこちらを選びました

「みんなで大仏さまにお手々を合わせましょ」も候補だったのですが、こちらを選出しました 
前日のメンバー紹介ではサトシさん名前を間違えたんだよね、MISIA
かつてはよくキーボードをギターと言い間違えていたMISIA、ここしばらくはサトシさんの名前が鬼門っぽい
ちなみに、前日、10月7日の「MISIAのおことば」はこちら。

10月7日の「MISIAのおことば」

そして、終演後はポンチョを脱ぎ、傘もほとんど使わず、緩やかな傾斜の道を下って、気分良く ホテルに戻ったのでした。

   

ホテルでは、途中のコンビニで買ってきた惣菜と缶ビールで簡易な夕食(?)を済まし(なにせ営業中の飲食店がほとんど無い)、シャワーを浴び、そして、翌日、遠征最終日観光スポットを検討しました。

帰りの新幹線(京都発 15:48)と、近鉄奈良⇒京都の特急券(近鉄奈良発 14:50)のチケットは取ってありますので、それまでどう過ごすか…

まだ行ったことのない場所に行きたいと思いつつ、明朝9:00頃迄に決めればいいや と、寝ました

MISIA絡みの遠征に行くと、ライヴで興奮するせいか、なかなか寝付けないことの多い私ですが、この遠征では、2夜とも、すぐに爆睡して朝までひと眠りでした。
MISIAがライヴ中になんども口にした「安寧」を、ライヴでいただいたのかもしれません

こうして遠征2日目が終わり、「#3-1」につづきます。

つづき:2023/10/25 良弁僧正1250年御遠忌慶賛遠征記 #3-1

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