「博物館・美術館の仕事は展示・保存するだけではないんだ」のつづき、というか、先週末の東京国立博物館(トーハク)のお話の「落ち穂拾い」です。
「博物館・美術館の仕事は展示・保存するだけではないんだ」は完結編だったはずなのですが、トーハクは、何度行っても、目先が変わっていて、今回も、書いておきたい作品がいくつもありましたもので…
まずは、相変わらず刀剣女子で賑わっている刀剣コーナーで観たこちら。
ピッカピカの直刀で、新しい時代の作品かと思いきや、説明板によると、
直刀(号 水龍剣) 無銘 奈良時代・8世紀
奈良時代の直刀は、正倉院のものを除けばその数は少ない。この直刀は重(かさね)(刀身の厚さ)が篤く、保存の良いもので、正倉院に伝来し、一説に聖武天皇の御料とも伝えられる。明治になって加納夏雄による水龍文の金具の拵(こしらえ)が製作されたため、水龍剣の号がある。
だそうです。
なんと、元は正倉院の御物
「加納夏雄による水龍文の金具の拵が製作された」と聞けば、思い出します。
去年の12月、「梨地水龍瑞雲文蒔絵宝剣(なしじすいりゅうずいうんもんまきえほうけん)」を拝見しました
こちらの記事に載せた写真をもう一度載せておきましょう。
これほど見事な拵を誂えたというのは、水龍剣に対する明治天皇の愛なんでしょうねぇ。
次も武具で、こちらの兜。
紺糸威烏帽子形兜 江戸時代・18世紀
中央を尖らせた圭頭(けいがしら)の烏帽子形を革で作り、表面に荒い麻布を貼って金箔を押している。正面に真鍮の輪貫(わぬき)の前立を付ける。[以下略]
ということで、「輪貫の前立」とありますが、烏帽子形の兜に「○」とくれば思い出すのは、、、、
加藤清正公ですな。
加藤家伝来の兜かとも思いましたが、説明板には、そんなそぶりもありません。
考えてみれば、加藤家は、清正の子の忠広の代に改易なったんでしたっけ…
でも、どう見ても、加藤清正を意識していると思うんですけど、どうでしょ?
それにしても、「荒い麻布」と「金箔」の取り合わせ、凄い感覚だと思います。
私の感覚では、甲冑は安土桃山時代~江戸時代初期が外連味たっぷりで楽しい一方、江戸時代中期~後期には「いかにも兜」的なものが多くて面白みに欠ける、というものだったのですが、この「紺糸威烏帽子形兜」には恐れ入りました。
最後は、ちょっと季節外れの雛飾りです。
この精緻華麗、豪華絢爛な調度…
説明板によると、
三つ葉葵紋蒔絵雛道具 江戸時代・19世紀
出雲松江藩松平家伝来、松平直亮氏寄贈
だそうです。
「出雲松江藩松平家」といえば、、、、そうです この松平氏だ
国宝・松本城天守を完成させたと思ったら、松江に移封され、結局は国宝2城の城主という希有な存在となった松平直政公の系統です。
おっとっと、早く信州旅行記を書き終えねば と現実に引き戻されたところで、次からは「半年前の信州旅行記」を再開します
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