新・徒然煙草の咄嗟日記

つれづれなるまゝに日くらしPCにむかひて心に移りゆくよしなし事をそこはかとなく紫煙に託せばあやしうこそものぐるほしけれ

オープンしたばかりの美術館に行ってきた

2022-10-29 14:22:53 | 美術館・博物館・アート

昨夜、書棚から雑誌「東京人」2010年4月号を引っ張り出してきました。

この号の特集は「美術館をつくった富豪たち」で、表紙にフィーチャーされているのは、尾形光琳燕子花図屏風(左隻)」(根津美術館)曜変天目(稲葉天目)」(静嘉堂文庫美術館)普賢菩薩騎象像」(大倉博古館)で、私は、幸いにも3点とも直に拝見したことがあります。しかも、その1点は昨日お会いしてきたばかり

というのも、昨日、今月1に丸の内の明治生命館移転・リニューアルオープンした静嘉堂文庫美術館(静嘉堂@丸の内)に行って、「響きあう名宝-曜変・琳派のかがやき-」を観てきたのです。

これまで静嘉堂文庫美術館世田谷区岡本にある静嘉堂文庫の本拠地で公開されていましたが、正直、交通の便の良くないところで、私は一度も行ったことがありませんでした。
それが、静嘉堂文庫(岩﨑彌之助・小彌太父子のコレクション)創設130年を期に、交通至便な明治生命館に引っ越してきたのです。
そして、「静嘉堂創設130周年 新美術館開設記念展Ⅰ」と冠して開催されている「響きあう名宝」展は、静嘉堂文庫が所蔵する国宝7点一挙公開 というのですから、この期を逃すものか でした。

なお、会期は12月18日までですが、風雨山水図 (伝 馬遠)」禅機図断簡 智常禅師図 (因陀羅筆、楚籍梵琦題詩)」源氏物語関屋澪標図屏風 (俵屋宗達)」の3点は11月6日までの公開ですのでご注意ください。他の倭漢朗詠抄 太田切曜変天目(稲葉天目)予中峰明本尺牘 (趙孟頫)」太刀 銘 包永 (手掻包永)」の4点は会期中ずっと観られます

この展覧会も日時指定方式だったのですが、それでも混んでました
もともと展示スペースがさほど広くないことに加えて、音声ガイドを利用しているシニア女性が多くて、彼女らは、ほんと、ショーケースの前から動かない
でも気づきました 順不同で見物していて、人混みが途切れたところを見計らって人気作品鑑賞すれば良いのです
こうして、観るのを半ばあきらめかけた茶入2「大名物 唐物茄子茶入 付藻茄子」「大名物 唐物茄子茶入 松本茄子」を間近にじっくり拝見できました。
なのですが、例によって私、茶道具にはイマイチなんです

それでも、その来歴を見ると、作品そのものを見る眼が変わってくるような気がします。
茶道具や刀剣は、その来歴ひれ伏すことが多いもので、「付藻茄子」足利将軍家⇒山名豊重[中略]⇒松永久秀⇒織田信長⇒豊臣秀吉⇒有馬則頼⇒豊臣秀頼⇒徳川家康⇒藤重藤元⇒今村長資⇒岩崎彌之助⇒岩﨑小彌太⇒静嘉堂「松本茄子」山名氏⇒[中略]武野紹鴎⇒今井宗久⇒織田信長⇒今井宗久⇒豊臣秀吉⇒豊臣秀頼⇒徳川家康⇒藤重藤巖⇒今村長資⇒岩崎彌之助⇒岩崎小彌太⇒静嘉堂というもので、なんという顔ぶれでしょう

蒼々たる戦国武将や天下人が愛蔵した名品を手にした岩崎父子は、に対する純粋な喜びと共に、その来歴に自分たちの名前を加えることに誇りを抱いたのでしょう。

   

日本の国宝(2022年10月1日現在)は、建造物が229件(292棟)、美術工芸品が902件あります(出典)美術工芸品について都道府県別件数を見ると、1位:東京 (286件)、2位:京都 (185件)、3位:奈良 (142件)、4位:大阪 (57件)と、東京が他を圧倒しています。こちらで書いたように、寄託品を含めると東京国立博物館(トーハク)だけで143件も収蔵しているのが大きいのですが、静嘉堂文庫のような「富豪系コレクション」もまた東京に集中しているのがその要因でしょう。

静嘉堂文庫三菱系で、三井には三井記念美術館があり、住友には泉屋博古館があります。
三大財閥の他にも、富豪のコレクションを常設展示している都内の美術館としては、大倉集古館国立西洋美術館(松方コレクション)アーティゾン美術館(石橋コレクション)五島美術館畠山記念館出光美術館根津美術館山種美術館太田記念美術館平木浮世絵美術館などなど枚挙にいとまがありません。ちょと毛色が変わったところでは、細川家の伝来品に細川護立のコレクションを加えた永青文庫なんてのもありますな。
蒼々たる顔ぶれですが、大コレクターがいません
「大茶人」と称された益田(鈍翁)孝松永(耳庵)安左エ門のコレクションはどうなった?
鈍翁コレクションは戦後散逸耳庵コレクショントーハク福岡市美術館を中心に寄贈されたそうな。ちなみに、松方コレクションのうち浮世絵トーハクに寄贈されています。

それはそうと、明治の日本経済の立役者、渋沢栄一の名前が見当たりませんな
雑誌「東京人」から鹿島茂さんの発言を引用しますと、

井上(馨)と親しかった渋沢栄一コレクションしていませんが、引退後の明治42(1909)年に、「渡米実業団」の団長として、日本の実業家たちをアメリカに連れて行ったことがあります。アメリカの実業界の人間たちと知り合わせるために。そのとき同行したのが、根津嘉一郎。この人は、初期はひじょうに評判の悪い人だった。ぼろ買いの根津と言われるほどで、とにかく、クズみたいになった会社を買い叩いて再興させることでお金持ちになった人。しかし、渋沢とアメリカに行って、カーネギーワナメーカーといった人々の社会福祉活動を見て、それまで会社と金にしか興味のなかった根津の目が開く。それから、いろいろな社会貢献やコレクションをやったみたいです。
安田財閥の安田善次郎も、晩年には東大に安田講堂を寄付しています。功成り名を遂げた人間が、金儲けだけだと恥ずかしくなるという風潮ができていきました

だそうです。日本経済の種蒔く人だった渋沢らしいお話です

   

ここで「響きあう名宝」展にもどりまして、国宝「源氏物語関屋澪標図屏風」俵屋宗達⇒「鵜舟図」尾形光琳⇒「麦穂菜花図」酒井抱一⇒「雨中桜花楓葉図」鈴木其一とつづく琳派の流れが眼福でした。
とりわけ、酒井抱一、いつ、どの作品を観ても、上品静謐で、実にイイ

そして、この展覧会の目玉ともいうべき「曜変天目(稲葉天目)」、さすがでした
この世に3腕しか現存していない超貴重曜変天目茶碗をガラス越しとはいえ至近から眺める幸せ
これでお茶を点てたらどんな風景になるんだろ、飲んだらどんな気分なんだろ。
図録によると、

小彌太「名器を私に用いるべからず」と生前一度もこの茶碗を使用することはなかった[中略] 岩崎家において唯一、曜変で茶が点てられたのは小彌太三回忌、熱海別荘の仏間で、孝子未亡人が仏前で献茶をしたときのみであったとされる。

だそうです。
小彌太さんの思いは、「自分にこの茶碗の守り役が廻ってきた」という喜びと、完璧な形で次の世代に引き継がなければならない責任感だったのかもしれません。

ということで、「響きあう名宝」展の見聞録はおしまいです。
ちょっとした展覧会の観覧料が2,000円「普通」になってしまった昨今、この内容で1,200円CPが相当高いと思いました。
静嘉堂@丸の内は、JRや地下鉄の各駅からも近く、今後はご贔屓したいと考えています。

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