きょう、好天に誘われて、路線バス
を乗り継ぎ、数十年振り
のスポット
に出かけてきました。
そのスポットでは、「数十年前」には見られなかったもの、それもちょっと、、というよりかなり珍しいものを見ることができました。
それは棒杭の壁で囲まれた建物でして、入口から中を覗くとこんな感じ。
馬小屋のようでもあり、トイレ
のようでもあります。
実はこの建物、奈良時代後半のトイレを復元
したものでして、しかも、水洗トイレ
です
発掘調査では、水洗用の給水設備が確認されなかったため、須恵器大甕に貯水し、用便のたびに柄杓で水を汲み、木樋を通じ沼地側に流し出したものと推定しています。
というこの「古代水洗厠舎(かわや)」があるのは、
「秋田城跡」です。
秋田市の中心部にある、江戸時代に佐竹氏が本拠地としていた城は「久保田城」(訪問記はこちら)で、
この秋田城ではありませんのでご注意ください。
秋田城の歴史はかなぁ~り古く、
秋田城は奈良時代から平安時代にかけて東北地方の日本海側(出羽国)におかれた大規模な地方官庁の遺構で、古代の政治・軍事・文化の中心地でした。蝦夷の人々の暮らしていた東北地方に同じように造られた城や柵のうち、もっとも北に位置しています。
天平5年(733)に、秋田村高清水岡に遷された当初は「出羽柵(いではのき)」と呼ばれ、やがて天平宝字4年(760)ごろに秋田城と呼ばれるようになりました。
だそうですから、1300年近い歴史を持っています。
上に引用したように、「地方官庁の遺構」ですから、一般的な「城」のイメージとはかなり違います。
復元された政庁東門を通って、
築地塀に囲まれた政庁域に入ると、ほぼ真っ平らな地に、正殿の柱の位置が示されています。
そして、正殿の床には「磚(せん)」というレンガというかタイルというか、そんなものが敷き詰められていたのだとか。
復元模型を見ると、
多賀城と似た感じかもしれませんな。
そりゃそうです。多賀城とは時代も性格もほぼ同じ「施設」ですから…
というところで、一息入れましょう。
つづき:2015/05/02 かなり珍しい遺構を見てきた(その2)
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