新・徒然煙草の咄嗟日記

つれづれなるまゝに日くらしPCにむかひて心に移りゆくよしなし事をそこはかとなく紫煙に託せばあやしうこそものぐるほしけれ

二日続けて東博に出かけた話(その1)

2014-06-30 23:50:20 | 美術館・博物館・アート

土曜日(記事はこちら)に続いて、昨日も東京国立博物館(東博)に行ってきました。
お目当ては土曜日に観た特別展「台北國立故宮博物院―神品至宝―」ではなく、二つありまして、まず、ミュージアムシアターの、

140630_1_01 「伊能忠敬の日本図」です。

いやぁ~、面白かった そして勉強になりました。

齢(よわい)50にして隠居するや、20歳近くも年下の高橋至時に弟子入りして天文学や暦学を学び、56歳から17年をかけて日本全国を歩き回って測量し、日本で初めて実測による日本地図を完成させたという伊能忠敬は、「シニア世代の星として有名な方。

その伊能忠敬が作り上げた「日本地図」は、その縮尺によって、「大図(1/36,000), 214枚」「中図(1/216,000), 8枚」「小図(1/432,000), 3枚」の3種類があって、それぞれについて、忠敬から幕府に提出された「正本」、「正本」の公式複製本の「副本」、模写された「模写本」があることが丁寧に説明され、その実物大とか超拡大をスクリーンで観ることができ、そして、肝心の伊能測量隊測量方法を知ることができました。

これだけでも目を見張るしかなかったのに、「副本」(ちなみに「正本」はすべて焼失しているとのこと)の現物が展示されているのは東博ならではの趣向です

   

140630_1_02 さっそく、平成館1階の企画展示室に特集陳列「伊能忠敬の日本図」を観に行きました(前日、特別展「台北國立故宮博物院―神品至宝―」を観に行ったときには、同じ平成館でこんな魅力的な特集陳列が行われていることに気づきませんでした

すると、この特集陳列の冒頭に展示されていたのは、

140630_1_03 「日本沿海輿地図(中図)」「東北」でした

もちろん、私の「地元」をしげしげと観たのですが、書かれている文字があまりにも小さくて、肉眼では良く見えません

そこで、撮ってきた写真拡大して、回転しますと、、、

140630_1_04 おぉ~ おなじみの地名が書かれているではありませんか

お城のある「久保田」はもちろん、土崎相染(母の実家のある地域。現在は土崎エリアに入っています)、飯島寺内牛島仁井田御所野戸島(父方の祖母の実家のある地域)、和田浜田などなど…

現在とは表記が違っていると思われる地名もありまして、「谷橋」八橋(やばせ)「新谷」新屋(あらや)なんだろうと思います。

また、伊能測量隊が海岸線を連続的に地形を記録していくのと併せて、誤差が大きくなるのを防ぐために測量点とランドマークとの角度を測った(伊能図では赤の直線で示されています)とのことでしたが、秋田市(久保田)近辺では太平山ランドマークになっていたこと、秋田市の北、南秋田郡秋田市のに南秋田郡があるのは、やはり変だよな)のランドマーク森吉山だったことが判りました。

いやぁ~、凄い凄い

さらに、伊能忠敬の性格をうかがい知ることができた(気のする)のは、こちらの伊能図でした。

140630_1_05 これはどこの地図でしょうか?

これでは判りづらいと思いますので、上下ひっくり返しましょう。

140630_1_06 そう、九州の中~南部です。
でも、筑前・筑後(福岡)、肥前(佐賀・長崎)が妙なことになっています。

説明板によりますと、

文化6年(1809)から8年にかけての第一次九州測量の成果に基づく小図(縮尺43万2千分の1)。その時点で未調査の肥前、筑前、筑後の3か国分を欠いている

由です。

測量していなくても、過去に作られた地図を参照すれば、おおよその地形は想像できるでしょうに、忠敬「測量していない部分は描かないという考えだったのでしょう。

「忠敬は、科学者だったんだなぁ~」と感嘆した私でございました。

   

特集陳列「伊能忠敬の日本図」では、関東地方、

140630_1_07

中四国伊能図も展示されていました。

140630_1_08 ズラリと並ぶ伊能図を、観衆の皆さんは私同様に食い入るように見つめていたのが印象的でした。

おっ、千葉の英雄

という、とある観客のひと言が妙にウケたりして…

伊能図に加えて、地図づくりの教科書とか、

140630_1_09 伊能図以前の地図なんぞも展示されていまして、こちらは、「行基図」として知られた地図

140630_1_10

 

ところが、説明板によれば、この本は百科事典「拾芥抄(しゅうがいしょう)の江戸時代に発行された活字版で、

『拾芥抄』は鎌倉時代に編纂された百科全書。江戸時代中期に刊行されたこの版本には、中世に普及した日本図が掲載されている。奈良時代の僧行基の制作とされ「行基図」の名があるが、実際は平安時代以降に作られたもので。中国や朝鮮にも伝わった。

のだそうで、いわゆる「目からウロコ」ってヤツでした。

完全に特別展「台北國立故宮博物院―神品至宝―」の陰に隠れている感じのミュージアムシアター「伊能忠敬の日本図」と特集陳列「伊能忠敬の日本図」ですが、これを見逃すのは、ぜぇ~~ったいにMOTTAINAI 断言いたします。

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