きのう、2週間ぶりに自宅に戻ってきたと思ったら、きょうは、さっそく東京国立博物館(トーハク)に出かけてきました。
お目当ては、特別展「出雲と大和」と、
もうひとつ、
梅
まずは、この時期のトーハクのお楽しみ、梅を愛でるべく、門を入って左方向、法隆寺国宝館の方へ…。
さっそく、表慶館の横で紅梅が満開です
芳香が漂い、既に春 って感じ
藤原敏行の歌をもじって、
春来ぬと目にはさやかに見えねども風の香にぞ驚かれぬる
なんぞと唸りたくなる気分です
例によって、メジロが梅の花に狂喜乱舞していて、彼らの普段のお食事を知りたくなってしまいましたとさ。
さて、特別展「出雲と大和」…その前に、総合文化展を観ました
きょう拝見した作品のうち、特に気になった作品を厳選して紹介させていただきます。
まずは、浄瑠璃寺(訪問記はこちらとこちら) 伝来の十二神将立像(未神)。
京都・浄瑠璃寺旧蔵の十二神将像。明治時代に寺外に出て、現在、東京国立博物館に5躰、静嘉堂文庫美術館に7躰が分蔵されています。
とのこと。
像自体は、失礼ながら、どうってことのないものですが、私が注目したのは、神将が着用している鎧の模様でした。
これは見紛うことなき「毘沙門亀甲文様」
後世には、江戸小紋でも定番の一つとなる「毘沙門亀甲文様」ですが(例えばこちらの記事をご参照方)、本来の「鎧」の文様として使われていました。
お次は、鎌倉時代末期の公卿・西園寺公衡の筆になる「不空羂索神咒経」。
その最後から2行目です。
大日本國嘉元四…
と書かれています。
これを観て、私が思ったのは、「日本」という国号はいつから使われていたのだろうか? ということでした。
Wikipediaによると、
この用例(=日本)の最初の確実なものとしては、一般的には大宝元年(701年)施行の大宝律令の「明神御宇日本天皇(あきつみかみとあめのしたしらすやまとのすめらみこと)」がそれとされている。(中略) また最初の徴候としては、有名な中国『隋書』大業3年(607年)の「日出づる処の天子」があげられる。朝鮮半島の史書においては『三国史記』(12世紀に編纂)「新羅本紀」の文武王10年12月(671年1月)条に、「倭国、号を日本に更む。自ら言う、日出づるに近きを以て名を為す」とある。
と、結構古い歴史がありました。
「前編」最後は、最近、このブログで頻出している(伝)本阿弥光悦の作品、「子日蒔絵棚(ねのひまきえだな)」。
説明板によれば、
天板に根引きの松、二段目に扇と夕顔、三段目に御所車と白丁を描いています。『源氏物語』の「初音」、「夕顔」、「関屋」を表した意匠です。
ですって
1週間前、「2020年最初の関西旅行記 #4-1」に書いた「根引きの松」と「初音」が出てきたぁ~
ところが、私の身長では、天板に描かれているという「根引きの松」が見えません
そこで、思い切り腕を上げてカメラを掲げて撮影してみました。
すると、
とんでもない構図ですが、なんとか撮れました
トーハクの漆工展示室は、その性格上、かなり薄暗いので、写真撮影はなかなか難しい…
もっとも、写真撮影ができるだけでもありがたいのですが…。
ということで、「後編」では、ようやく、特別展「出雲と大和」のことを書きます。
つづき:2020/02/22 1ヶ月ぶりに東京国立博物館へ (後編)