新・徒然煙草の咄嗟日記

つれづれなるまゝに日くらしPCにむかひて心に移りゆくよしなし事をそこはかとなく紫煙に託せばあやしうこそものぐるほしけれ

1ヶ月ぶりに東京国立博物館へ (前編)

2020-02-21 22:16:27 | 美術館・博物館・アート

きのう、2週間ぶりに自宅に戻ってきたと思ったら、きょうは、さっそく東京国立博物館(トーハク)に出かけてきました。

お目当ては、特別展「出雲と大和」と、

もうひとつ、

まずは、この時期のトーハクお楽しみを愛でるべく、門を入って左方向、法隆寺国宝館の方へ…。
さっそく、表慶館の横で紅梅満開です

芳香が漂い、既に って感じ

藤原敏行をもじって、

  来ぬと目にはさやかに見えねども風のにぞ驚かれぬる

なんぞと唸りたくなる気分です

例によって、メジロ梅の花狂喜乱舞していて、彼らの普段のお食事を知りたくなってしまいましたとさ。

   

さて、特別展「出雲と大和」…その前に、総合文化展を観ました

きょう拝見した作品のうち、特に気になった作品を厳選して紹介させていただきます。

まずは、浄瑠璃(訪問記はこちらこちら) 伝来の十二神将立像(未神)

説明板によると、鎌倉時代(13世紀)のものだそうで、

京都・浄瑠璃寺旧蔵の十二神将像。明治時代に寺外に出て、現在、東京国立博物館に5躰、静嘉堂文庫美術館に7躰が分蔵されています。

とのこと。
像自体は、失礼ながらどうってことのないものですが、私が注目したのは、神将が着用している鎧の模様でした。

これは見紛うことなき「毘沙門亀甲文様」
後世には、江戸小紋でも定番の一つとなる「毘沙門亀甲文様」ですが(例えばこちらの記事をご参照方)、本来の「鎧」の文様として使われていました。

   

お次は、鎌倉時代末期の公卿・西園寺公衡の筆になる「不空羂索神咒経」

その最後から2行目です。

大日本國嘉元四…

と書かれています。
これを観て、私が思ったのは、「日本」という国号はいつから使われていたのだろうか? ということでした。

Wikipediaによると、

この用例(=日本)の最初の確実なものとしては、一般的には大宝元年(701年)施行の大宝律令の「明神御宇日本天皇(あきつみかみとあめのしたしらすやまとのすめらみこと)」がそれとされている。(中略) また最初の徴候としては、有名な中国『隋書』大業3年(607年)「日出づる処の天子」があげられる。朝鮮半島の史書においては『三国史記』(12世紀に編纂)「新羅本紀」の文武王10年12月(671年1月)条に、「倭国、号を日本に更む。自ら言う、日出づるに近きを以て名を為す」とある。

と、結構古い歴史がありました。

   

「前編」最後は、最近、このブログで頻出している(伝)本阿弥光悦の作品、「子日蒔絵棚(ねのひまきえだな)」

説明板によれば、

天板に根引きの松、二段目に扇と夕顔、三段目に御所車と白丁を描いています。『源氏物語』の「初音」、「夕顔」、「関屋」を表した意匠です。

ですって
1週間前、「2020年最初の関西旅行記 #4-1」に書いた「根引きの松」「初音」が出てきたぁ~

ところが、私の身長では、天板に描かれているという「根引きの松」見えません

そこで、思い切り腕を上げてカメラを掲げて撮影してみました。
すると、

とんでもない構図ですが、なんとか撮れました
トーハク漆工展示室は、その性格上、かなり薄暗いので、写真撮影はなかなか難しい
もっとも、写真撮影ができるだけでもありがたいのですが…。

ということで、「後編」では、ようやく特別展「出雲と大和」のことを書きます。

つづき:2020/02/22 1ヶ月ぶりに東京国立博物館へ (後編) 

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