「南九州旅行記(その6:熊本城の巻③)」のつづきを始めるにあたりまして、皆さんに情報提供のお願いです。
このブログを書くにあたって、できる限り自分自身の疑問を解決して記事にするよう心がけてはいるのですが、いくら調べても答が見つからない疑問があって、それで、なかなか南九州旅行記が先に進みません。
その疑問というのは、熊本城を築城した加藤清正公の「紋」。
公式サイトによれば、
加藤家の紋は清正の甲冑に用いられている「蛇の目」が有名ですが、「桔梗」紋も用いていたことはあまり知られていないようです。
<中略>また、清正はあとひとつ「折墨(おれずみ)」と呼ばれる家紋も使っていました。戦には「蛇の目」、慶事には「桔梗」、文化的な事には「折墨」というふうに、用途により3種類を使い分けていたそうです。
とあります。
「蛇の目」と「桔梗」なら、長く熊本城の城主でありつづけた細川氏の「九曜」紋ともどもおなじみの紋です。
ところが、文化的なことに使われていたという「折墨(おれずみ)」なる紋が判りません
調べても判らないとなると、レバニラ炒めを食べた後、ニラが歯の隙間に入り込んだままなかなか取れないような、「放っておいても問題はないけれど、気になってしようがない」心境なのですよ
どなたか教えてくだされぇ~ 後生でござるぅ~
「折墨」の解決を待っていては先にすすめませんので、心ならずも、「折墨」は置いといて、、、、重要文化財の宇土櫓(うとやぐら)に潜入します
と、その前に、私の小疑問が解消しました
6月25日の記事「その6」で、
石の柱に、四角い穴が開けられています。これが何本も並んで立っているのですが、いったい何に使われるものなのでしょう?
と書いた「石の柱」の用途が判明したのです
ほらっ
なんのことはない、土塀の支えの一部でした
で、重要文化財の中に入らせていただきます。
中には、私の大好きな構造模型なんぞも展示されていましたが、さすがに、ここでの見物は数百年の歴史が染み込んだ床や柱でしょう
うおぉぉ…
更に柱は、 こちらも「飴色」に熟成が進んでいます
のべ何万人(何百万人?)もの人に触られて、手の脂がワックス代わりになり、良い色に色づいてますなぁ
ある意味、再建された天守閣に登るよりも、この宇土櫓の内部は趣深い…。
こりゃ、お薦めデス かなりかなり宇土櫓に満足した私が次に向かったのは、大小天守閣ではなく
、約42億円
を投じて再建し、3年前に公開された本丸御殿大広間
このお話は、また後日
つづき:2011/07/08 南九州旅行記(その8:熊本城の巻⑤)