戦前は高齢者を大切にしたり、お年寄りに敬意を払っていたのかと思っていたら、大倉幸宏『「昔はよかった」と言うけれど』には、高齢者を虐待し、死に至らしめる事件が紹介されています。
親を置き去りにしたり、行政の担当者が保護を求めた老人を遺棄することもあった。
養老院の経営者が配給品や寄付を横領して暴利をむさぼる。
高齢者の自殺も多かったです。
1940年に自殺で亡くなった65歳以上の高齢者は2054人、2000年の統計では7550人。
10万人当たりの死亡率では、1940年は59.5、2000年は34.3で、1940年のほうが高い。
1940年の自殺率は、全年齢層が13.7、80~84歳だと88.2、85歳以上は94.1と高齢になるほど高い。
戦前の日本が高齢者にとって住みやすい社会ではなかったことはこの統計からも想像できる。
核家族化の兆候は戦前から現れていました。
1920年の国勢調査によると、「夫婦+未婚の子」の世帯が約40%、「夫婦のみ」を含めると半数以上の世帯が核家族だった。
三世代同居の世帯は約23%を占めるにすぎない。
平均寿命が短かったため、三世代がそろう状況が生まれにくかったという背景もある。
「昔はよその家の子供でも悪いことをすれば叱っていた」と言われるが、子供のしつけが厳しかったわけではないそうです。
かつての農村の家庭や都市部の下層から庶民層にかけての家庭では、親が子供を叱るのは、家の仕事や手伝いに関する場合のみで、社会的なマナー・モラルが厳しく教えられる機会はほとんどなかった。
正宗白鳥
長谷川如是閑
明治維新を境に礼儀・しつけが廃れはじめ、戦後その傾向がさらに強くなり、そして現在、日本人の道徳は地に落ちたということになります。
しかし今は、裸体での外出、川にゴミを捨てる、他人の荷物からモノを抜き取るなどは罰せられ、子供や老人への虐待は処罰が下される。
実際は戦前の日本人よりも、むしろ今日の日本人の道徳心は戦前に比べて格段に高まっている。
日本人の他者に対する礼儀の欠如、公共の場における傍若無人な振る舞いについて、大倉幸宏さんはこのように論じています。
昔のよかった面だけでなく、悪かった面にしても冷静に目を向け、先人たちがその悪い部分とどう向き合い、何を試みてきたのかを見極めることも重要です。そうした物事を複眼的にとらえようとする姿勢こそが、本当の意味で歴史から学ぶというに値するのではないでしょうか。一面的な歴史認識、恣意的な歴史解釈は、社会を誤った方向へ導く危険性を秘めています。
そして、道徳教育についてこのように指摘しています。
安倍晋三内閣のもとで、道徳の教科化に向けた検討が進められているが、本当に有効な施策なのか。
戦前は修身という教科があったが、人々の道徳心向上に寄与したかどうか疑問である。
社会の秩序は教育によってのみ高められるのではなく、さまざまな制度やシステム、環境を整えることによって構築されていく。
昔はよかったと言うことは、ただ単に現在のさまざまな事柄が気に入らないだけと思います。