ブライアン・ヘルゲランド『42〜世界を変えた男〜』は、大リーグ初の黒人選手ジャッキー・ロビンソンの伝記映画。
チームメイト、相手チーム、観客などからひどい差別を受けたかが描かれている。
特にベン・チャップマンという監督のヤジが「猿はジャングルに帰れ!」とか「ニガ、ニガ、ニガ、ニガ、ニガ・・・」としつこくて、どうしてみんな何も言わずに黙っているのかと不愉快になる。
「やじ」の意味をネットで調べみると、「やじること」とあり、「やじる」とは
とありました。
『世界大百科事典』では「やじ」はこのように説明しています。
国会では「通例」「弥次と怒号がとびかう」と説明するのだから、『世界大百科事典』はビアスの『悪魔の辞典』みたいなものかと思ってしまった。
小学校のホームルームでやじを飛ばす子供がいたら、議員のみなさんはどう思うのでしょうか。
普通は、会議で誰かが発言している時に大声で「ひやかし」や「あざけり」を言ったら、人間性を疑われてしまう。
で、都議会での「早く結婚したらいいじゃないか」「子供もいないのに」「産めないのか」といったやじが飛び、同調した笑いが起きたという事件。
通常、子供のいない夫婦に「子供はまだ?」とは聞けないし、まして「産めないのか?」とは言わない。
ある子供のいない女性だが、昔、法事のあとの食事の席で、親戚から「お前はどうして子供を産めないんだ」と責められて泣いてしまったことがある、と話されてた。
たぶん戦前の話で、さすがにこんなことを言う人は今はいないと思っていたが、都議会にはいるんですね。
「セクハラやじ」と言われているが、このやじは「性的ないやがらせ」とは違うと思う。
結婚していない人、子供のいない女性を、結婚して子供もいる自分と同等の人間として見ていない。
ジャッキー・ロビンソンへのやじのように、人間としての存在を否定しているように感じる。
だけども、こういう人たちはシングルマザーへの差別的扱いは伝統を守るとか言って、肯定するんでしょうね。
石原伸晃環境相の「最後は金目でしょ」発言にしても、「どうせこいつら……」と思っていることがありありとうかがえて、これまた被災者を自分よりも以下の人間と見なしている。
田中角栄が初めて大臣になった時だったと思うが、官僚を一人ずつ呼んで、現金の入った封筒を渡したという。
金を返した官僚は一人もいないというのが自慢だったそうだ。
自分たちが「最後は金目」だからといって、自分のことは棚に上げ、人を見下すような人間じゃないと大臣や議員になれないということです。
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