三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

理不尽な世界に

2014年05月14日 | 日記

梯久美子『百年の手紙』に由比忠之進という人のことが書かれていた。
昭和42年11月、「佐藤総理に死をもって抗議する」という抗議書を残し、総理官邸前で自分の胸にガソリンをかけ、火をつけて焼身自殺した。
アメリカの北ベトナムへの爆撃を支持への抗議自殺である。
そんなことがあったなんてまったく覚えていない。

昭和61年、中学2年生の鹿川裕史くんはイジメが原因で自死している。

ただ俺が死んだからって他のヤツが犠牲になったんじゃいみないじゃないか。

同じように遺書を残して自死したイジメ被害者は少なくない。
死をもって抗議しても、世界は変わらない。
どのようにして伝えていくか。
どうしたら伝わるのか。

田沼武能『難民キャンプの子どもたち』にこのように書かれている。

ゲリラは人を殺す感覚が麻痺している。少しでも逆らえば、すぐ殺してしまうのだ。襲撃の対象となる人たちは政治とは関係のない、平和に暮らす一般の人なのに、金品はもちろん、子どもたちまで誘拐されていく。

ナイジェリアのイスラム過激派が学校を襲撃し、多数の女子生徒を連れ去ったという事件があった。
コロンビアのゲリラは麻薬マフィアだし、アフリカの反政府軍と称する中には単なる強盗団も多い。
彼らに対してどうすればいいのか。

あるいは独裁国家。
グアテマラの親米独裁政権は何十年も富を独り占めし、国民を弾圧し、先住民を迫害した。
ゲリラと見なされた人は拉致されて拷問、約800万人の人口のうち20万人が虐殺されたという。
暴力には暴力で対するしかないのか。

地上に天国を実現することを好まぬ者がいるであろうか。しかしながら、その企ては必ず地獄を生み出すことになる。(関雅美『ポパーの科学論と社会論』)。

でも、アンゴラは27年間の内戦が終結した後、ダイヤモンドや石油の輸出によってアンゴラ経済は拡大しているそうだ。
100日間で80~100万人が虐殺されたルワンダも復興し、経済成長率も高いという。

なんとかなるのかもしれない。

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4 コメント

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Unknown (悪死汚魔儺憮)
2014-05-16 12:39:00
憲法9条は見殺しの条文です。
よって、護憲論者や憲法9条支持論者は人殺しを煽っているだけのこと。
返信する
連鎖から解き放たれるために ()
2014-05-18 20:57:03
世界は暴力にあふれています。
自分の考えと違うからというだけで攻撃する暴力に満ちています。
ひやかし、からかい、憎しみのコメントも暴力の一種ですね。
だからといって、暴力に暴力で対抗するのは間違いだと思います。
暴力の連鎖ですからね。
改憲論者や憲法9条反対論者は人殺しを煽っていると思いますよ。
返信する
真の人殺しとは? (悪死汚魔儺憮)
2014-05-21 18:00:07
イランイラク戦争当時のサダム=フセインがやったことをご存知か?
イラン人とイラク人の間の戦争行為ではない。
イラク領内航行の、飛行機に対して、無差別爆撃予告のことだ。
当時、イラク領内に様々な国の外国人がいました。
石油開発、インフラ整備、様々な仕事をイラク国内で、日本人は働いていました。
しかし、イランイラク戦争が激しさを増すにつれ、サダム=フセインはイラク領内の無差別爆撃予告を宣言しました。その無差別爆撃予告に対して、何も出来ない、本国人を見殺しにしようとした国がたった一か国だけありました。言わずもがな、その国は日本国です。
アメリカ人は米軍が、イギリス人は英国軍がそれぞれ救出されました。なのに、日本人だけ、自衛隊に見放されました。
理由は他ならぬ…

憲法9条があったから!

つまり、護憲論者はこの対外邦人に対して、死ね!!と言った瞬間です。あと、人の命よりも憲法9条が重い、という解釈をしている。
憲法9条のせいで自国民のために、救出輸送機一機、飛ばせないってのが今の、そして護憲論者の憲法解釈です。
つまり、憲法9条ってのが見殺しの条文、護憲論者は人殺し、っていう理由がそれです。
軍隊は何も戦争するために存在するのではない、護憲論者はそこを歪曲して自衛隊を無くそうとしているのが真の目的です。
憲法9条は安倍総理によって殺されたのではない。サダム=フセインによってすでに殺されたのが本当のところではないだろうか?
護憲論者こそ間接的な人殺しである。
返信する
違うようです ()
2014-05-22 08:37:06
ウィキペディアの「イラン・イラク戦争」を見ますと、ちょっと事情が違っているようです。

「イランに住む日本人以外の外国人はおのおの自らの国の航空会社や軍の輸送機によって順次イランから脱出していった。ところが、日本においてはそうではなかった。ただちに日本航空にチャーター便の派遣を依頼したのだが、日本航空のパイロットと客室乗務員が組織する労働組合は、組合員の安全が保障されないことを理由にいずれもこの要請を拒絶した。(略)
なお当時の自衛隊法は、自衛隊の外国における活動を人道目的を含めて想定しておらず、また、イランまでノンストップで飛行できる航空機が配備されていなかったため、自衛隊を派遣するのは事実上不可能だった。(略)
野村豊在イラン日本国特命全権大使がイスメット・ビルセル在イラントルコ特命全権大使に救援を要請したところ、トルコ政府が応じ、トルコ航空の自国民救援のための最終便を2機に増やしてくれたので、215名の日本人がそれに分乗してイランを脱出した。」

↓を見ますと、ソ連、オーストリア、フランス、ドイツなどは民間の航空会社が救出しているようです。
http://d.hatena.ne.jp/jjtaro_maru/20120412/1334232564

↓によると、「日航が要請を拒否したのではなく、外務省の判断がもたついたためだった、というのが真相のようだ」とのことです。
http://tabidigi.at.webry.info/201102/article_3.html
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