梯久美子『百年の手紙』に由比忠之進という人のことが書かれていた。
昭和42年11月、「佐藤総理に死をもって抗議する」という抗議書を残し、総理官邸前で自分の胸にガソリンをかけ、火をつけて焼身自殺した。
アメリカの北ベトナムへの爆撃を支持への抗議自殺である。
そんなことがあったなんてまったく覚えていない。
昭和61年、中学2年生の鹿川裕史くんはイジメが原因で自死している。
ただ俺が死んだからって他のヤツが犠牲になったんじゃいみないじゃないか。
同じように遺書を残して自死したイジメ被害者は少なくない。
死をもって抗議しても、世界は変わらない。
どのようにして伝えていくか。
どうしたら伝わるのか。
田沼武能『難民キャンプの子どもたち』にこのように書かれている。
ゲリラは人を殺す感覚が麻痺している。少しでも逆らえば、すぐ殺してしまうのだ。襲撃の対象となる人たちは政治とは関係のない、平和に暮らす一般の人なのに、金品はもちろん、子どもたちまで誘拐されていく。
ナイジェリアのイスラム過激派が学校を襲撃し、多数の女子生徒を連れ去ったという事件があった。
コロンビアのゲリラは麻薬マフィアだし、アフリカの反政府軍と称する中には単なる強盗団も多い。
彼らに対してどうすればいいのか。
あるいは独裁国家。
グアテマラの親米独裁政権は何十年も富を独り占めし、国民を弾圧し、先住民を迫害した。
ゲリラと見なされた人は拉致されて拷問、約800万人の人口のうち20万人が虐殺されたという。
暴力には暴力で対するしかないのか。
地上に天国を実現することを好まぬ者がいるであろうか。しかしながら、その企ては必ず地獄を生み出すことになる。(関雅美『ポパーの科学論と社会論』)。
でも、アンゴラは27年間の内戦が終結した後、ダイヤモンドや石油の輸出によってアンゴラ経済は拡大しているそうだ。
100日間で80~100万人が虐殺されたルワンダも復興し、経済成長率も高いという。
なんとかなるのかもしれない。