三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

死刑囚表現展のアンケート

2024年01月06日 | 死刑
2022年10月に行われた死刑囚表現展の入場者アンケートの結果が「FORUM90」VOL.185に、2023年11月の死刑囚表現展のアンケートの結果は「FORUM90」VOL.189に掲載されています。
死刑反対の人だけでなく、死刑に賛成の人、どちらでもない人も来場していることがわかります。

・死刑に賛成の人
まるで自身は世間に殺されるのだと言わんばかりの死刑囚には怒りを通り越してすっかり呆れ果てました。私は死刑肯定者です。冤罪の疑いが僅かでもある限りは確定、執行は絶対に避けるべきですが、自分の犯した罪に対し命をもって償うのは当然だと思います。正直に死刑廃止論者の方々についても、なんて罪深い団体なのだろうと各メディアで廃止を訴えている様を見掛ける度に死刑囚と同等に罰してもらいたい程の気持ちになります。(40代)

人を殺した人は、同じ方法で殺されるべきだと思っています。自分だけ楽に死ねるのは間違っているとも思っています。(40代)

私は死刑には賛成で、人の命を奪った罪はやはり命をもって償うべきであると思う。殺された人はやり直しの人生を送ることが出来ないのだから。(60代)

死刑が嫌なら悪いことをしないでください。(20代)

一度罪を犯した人って、やっぱりこの程度なんだなって思いました。(10代)

一番真摯に向き合ってるのは風間博子さんなのかなと思った。彼女は旦那が違えばきっとこのような人生を歩まず子供と平々凡々のくらしをしたはず…それがかえすがえすも残念…。僕は死刑に反対はしません。殺された人々そして遺された人の苦しみや悲しみとは変えられないと思うので…。(50代)

・早く執行すべきだという人
逆に「もういいんじゃない」「さっさとサインしろよ」(法務大臣への執行命令書に署名)との思いを強く抱きました。色エンピツや絵具の未決囚の所持、差入れや使用が制限されたとのニュースをチラッと見たような気がしますが、それも当然、遅いぐらいに思います。(40代)

殺された人を無視して、静かな環境で絵を描いたりすることの違和感をとても感じる。きっと充実している時間を持っているのだろう。殺された人にはその時間はないのに。粛々と刑の執行を望みます。(50代)

・死刑に賛成、反対と言い切れない人
私としては、やはり被害者の方のことを考えると廃止とは言い切れませんが、これからも自分なりに考えたいと思いました。(30代)

「死刑廃止しろ」とは思いません。日本において死刑になる人はみんな人殺しです。殺された人は生きていたかったのに殺されて未来をうばわれたのです。死刑にするのはごくまれな人であり、仕方ないのかもしれません。しかし処刑されたら罪をつぐなえなくなる。何もできなくなる。だから「死刑をなくせ」とか「死刑存続しろ」とか強く言えない。(40代)

殺されている多くの人がいるのに絵が描けて良いご身分。反省もせず、1分1秒でも生きたい、など、吐きそうでした。そういう意味では死刑より無期の方が良いかもしれません。早急な執行を望みます。(40代)

絵や作品から「死刑」「死」に対する恐怖が伝わってくる方もいますが、反対に人を殺めたのに反省すら見えない者も。(20代)

私は死刑制度に反対ではありません。どの絵や表現にもあまり反省している様子は伺われず、自己主張のかたまりのような気がしました。(50代)

全体的に品位が感じられない。まだ自分のした事が悪いと認識してないようだ。(50代)

・死刑に疑問を感じた人
私は死刑反対派というと少しちがって、死刑は償ったことになるのかな?と思っています。(10代)

死刑は被害者のつぐないのためと思っていたが、結局人間“自分”が1番かわいいんだなと思ってしまった。私も含めて、死刑は誰のためにあるのか考えさせられた。見せしめ?(20代)

近年、死刑になりたいから罪を犯した、という事件を見聞きするたび、死刑は犯罪の抑止力になっていないのだなあ、と感じます。(40代)

本日、来るまでは悪い事をしたのだから死刑になってあたり前だと思っていましたが、どんな人にも生きる権利はあっても良いと死刑に対する考え方が変わりました。死刑囚の方々の思いを絵や文を通して知ることができて良かったです。改めて、私を育ててくれた両親に感謝したいです。(20代)

重罪を犯したのだから、死刑は仕方のないこと、そう思っていた自分もどこかにいた。しかし、死刑囚といえど、1人の人間であり、その人権は尊重されるべきである。(40代)

死刑はあるべきものと思います。亡くなられた方たちを思うと。でも、今もどこかで大きな罪を犯した人がこういう作品を作りながら考えながら生きていると思うと、被害者の方やその遺された家族を思うことがむずかしい気持ちになりました。(30代)

・植松聖死刑囚について
植松聖死刑囚の絵画が目当てでした。彼は精神障害者に差別的な発言をしていましたが、腑に落ちてしまったのは、実は知的障害者の存在があるからです。発達障害者の中には、知的障害を合併している人も居ます。先日まで働いていた職場で中等度や重度の知的障害者と関わる機会がありましたが、やはり、人並みの事が出来ないのは勿論ですが、自分本位で思いやりが無く、不機嫌になると暴言どころか暴力にまで進展します。現代は「平等社会」と謳っていますが、「生きている事」だけが平等であり、全くもって「公平」な社会では無いのだと感じます。人間も本来は動物ですが、より野性的と言える人達は、個人的に恐怖の対象です。(30代)

植松聖さんの作品群も、自分を非難する人々やとりまく権力への不服、怒りのような気持ちが伝わってきました。(20代)

植松さんの画、言葉、殺すことはだめだけど、気持ちはわかる。(60代)

植松聖死刑囚の作品を見るために初めて来ました。私には「知的しょう害を伴う自閉症」の息子がいます。彼が生まれた年、場所によっては、津久井やまゆり園で生活していたかもしれず、彼に殺されていたかもしれません。植松死刑囚の行いを否定するなら、彼の言動も知らなければと思い、足を運びました。彼の作品にふれてみて、改めて全く賛同できないと確信しました。(50代)

植松氏は、全く変わっていないと思えたし、独善的な思想のられつであり、作品として深みも面白みもないと思えた。自分の犯した罪のことを何とも思っていない、それをさしおいて、他の死刑囚を責めていると感じた。(30代)

死刑に賛成の人の感想を読むと、死刑や死刑囚について知らないか、誤解しているように思います。
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