澤地和夫『東京拘置所死刑囚物語』に、オウム真理教の事件で死刑を求刑されている被告についてこうふうに書いてある。
「私は、約8年くらい前から、オウムの林泰男、豊田亨、早川紀代秀、中川智正、遠藤誠一の5人と同じ舎房で暮らしていますが、彼らは5人ともきわめて、礼儀正しく真面目で、かつ、とても紳士に見えます。
しかし、実際に接したことのない世間の人たちは、オウムの犯人たちを端(はな)から冷酷で無慈悲な人間ときめつけているように思われます。ところが、実際の彼らはそうではないのです。あのいかさまとも思えるような宗教との出会いがなければ、この社会のリーダー的存在として応分の活躍をした人たちであろうと考えます。しかし、悲しいかな、いくら高学歴で教養の高い人間であっても、人は何かをきっかけとして、自分でもわけがわからないうちに犯罪者となってしまう存在なのです」
地下鉄サリン事件実行犯である広瀬健一氏が「学生の皆さまへ」という手記を書いている。
藤田庄市氏がフェリス女学院大学で大学生にカルト予防のための講義を行うに当たり、資料として執筆を求めたのに応じてものだそうで、A4で59枚ある。
達筆、そして極めて論理的であり、冷静に自らを省みている。
広瀬氏も「礼儀正しく、真面目」な人なんだろうなと思う。
「学生の皆さまへ」を読んだ感想を何回かに分けて書く予定です。(今までブログであやしい宗教について書いてきたことのおさらいみたいなものです)
私はカルトという言葉はあまり使いたくない。
というのも、カルト宗教とまともな宗教とがあって、その間にはっきりとした境界線があるわけではないからである。
伝統宗教や既成教団だってカルト的要素はある。
また、オウム真理教は特殊なセクトであり、麻原彰晃という異常な人間のせいで事件が起きたんだと、あっさりと片づけてしまうべきではないと思っている。
麻原彰晃に人間的魅力があったからこそ、信者はもちろんのこと、ダライラマや中沢新一、そして西本願寺の門主といった人たちが麻原に対して好意的な言葉を寄せているのである。
自分とは無関係なものとして切り捨ててしまったら、問題のある宗教、思想、団体にはまってしまっても、どこが問題なのか、そのことに気づかないでいるだろう。
一番上手な詐欺は被害に遭ったと気づかせない詐欺である。
だましているほうも、だましている気がなくてだましているのが一番いい。
たとえば、教祖の本を大量に買って配るというような。
間違うことはしかたない。
間違ったと気づくことが大切である。
広瀬氏の手記を読んで、あやしい宗教を見分ける基準の一つは実体化ということだと思った。
「エネルギー」とか「いのち」とか「見えない世界」だとかいったことを実体化しているなら、その教えには眉につばをつけて聞く必要がある。
そして、主張が真実であることの証拠、証明として神秘体験や超常現象を持ってくる教えは気をつけたほうがいい。
しかしながら、ある概念の実体化や神秘体験の絶対化は多くの宗教でなされていることであり、オウム真理教だけではないのである。
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