池谷孝司『死刑でいいです』は、2005年に姉妹を殺害して死刑になった山地悠紀夫のルポルタージュ。
いろいろと教えられることがありましたが、信田さよ子氏(心理学者、臨床心理士)と藤川洋子氏(元家裁調査官)がインタビューに答えて、更生と反省について語っていて、それをご紹介。
信田さよ子さん
私は、まず反省することが更生の第一歩だと思っていました。
ところが、浜井浩一氏が「罪の意識は、科学的に見て再犯を防止できるかということです。これは科学的な結論だけ言うと、罪の意識は再犯を防止できないということです」、あるいは「罪の意識は社会復帰を阻害します」と否定しているのを読んで、驚きました。
岡本茂樹『反省させると犯罪者になります』にも同じことが書かれてあり、反省を強いることは逆効果になりかねないということは、専門家にとって常識なのでしょう。
ただし、一般人には受け入れがたいと思います。
犯罪ではなくても、たとえば戦争責任や慰安婦問題などでも、頭ごなしに謝罪を求められると反発したくなるのも同じことかもしれません。
児童虐待にもその背景があります。
虐待は世代間連鎖するといわれているが、虐待するのは多くが父親であり、父親から母親へのDVを見て育った息子に暴力が連鎖することが分かってきた。
世代間連鎖は父から息子へという男の問題だということです。
「反省→更生」ではなく「更生→反省」ということなんですね。
山地悠紀夫は発達障害だったらしく、『死刑でいいです』では発達障害について書かれています。
藤川洋子さん
うまくいっているとそう事件なんか起こしません。本人が更生することは、同時に再犯防止になるわけです。まず反省させてから更生となれば、反省できない子は先へ進めなくなる。少年に罰を与えたからといって、なかなか反省できるものではありませんが、特に発達障害の子はそうです。
もともと人間は安全感を持てないと、本当の意味で反省できないと思います。「反省しろ」と言われてもできません。親の愛情を確認できたとか、「おまえのことを大事に思っている」と言われ、無視されずにいろんな人に愛されていたんだ、と感じて初めて気持ちが届く。生きていていいんだ、ここにいていいんだ、と実感できないと、反省なんか出てきません。もともと他人の気持ちが分かりにくい人には余計、きついでしょう。
「反省なき更生」ということですが、反省しなくてもいいということではなく、更生と再犯防止を優先しようということです。
日本では、英国のように高原のコテージで学習を中心にして訓練を受けているような生活を見ると、怒りを覚える人が多いでしょうね。少年の更生プログラムも理解されにくいぐらいだから。少年院の料理なんか非常に低予算だけど、それでも、事件の関係者が見学すると、中には「こんないいものを食べさせているんですか」と感情的になる人もいます。
刑務所を見学した人が、「こんないいものを食べているのか」とびっくりしてましたが、私もそう感じることがあります。
エマニュエル・ベルコ『太陽のめざめ』では、主人公(たしか15歳)は少年院か児童自立支援施設のようなところに入るわけですが、少年たちはタバコを普通に吸ってて、こんなんで更生するのかと思いました。
感情では納得できないわけです。
だけど、刑務所に入った犯罪者はいつかは出てきます。
久保貴「更生保護における保護司の機能に関する一考察」(『更生保護』2017年1月)にこうあります。
久保貴氏によると、犯罪をした人を社会から排除するだけでは、安全・安心な社会を維持できません。
加害者の人権ばかり守られて、被害者の人権はないがしろにされている、という意見を耳にします。
被害者の救済や支援と、加害者の更生は分けて考えないといけないと思いました。
そして、再犯しないことも償いの一つではないでしょうか。
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