三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

反省と更生

2017年03月12日 | 厳罰化

池谷孝司『死刑でいいです』は、2005年に姉妹を殺害して死刑になった山地悠紀夫のルポルタージュ。
いろいろと教えられることがありましたが、信田さよ子氏(心理学者、臨床心理士)と藤川洋子氏(元家裁調査官)がインタビューに答えて、更生と反省について語っていて、それをご紹介。

信田さよ子さん

私は性犯罪者の処遇プログラムもやっていますが、反省は最後です。まずはどうやって再犯を防止するか。反省を促すより、まず再犯させないというのが重要です。これは北米では常識です。でも、日本は明治以来の刑法で、時代錯誤的にまず反省を求める。でも、中途半端に反省を求めても言い逃れを生むだけです。マニュアル的に「申し訳ないことをしました」と頭を下げるだけでは駄目。反省しなくても、再犯の防止はできる。


私は、まず反省することが更生の第一歩だと思っていました。
ところが、浜井浩一氏が「罪の意識は、科学的に見て再犯を防止できるかということです。これは科学的な結論だけ言うと、罪の意識は再犯を防止できないということです」、あるいは「罪の意識は社会復帰を阻害します」と否定しているのを読んで、驚きました。

岡本茂樹『反省させると犯罪者になります』にも同じことが書かれてあり、反省を強いることは逆効果になりかねないということは、専門家にとって常識なのでしょう。

ただし、一般人には受け入れがたいと思います。

性犯罪者処遇プログラムも、人格は尊重し、褒めるのが基本です。DV加害者にもどうなりたいかを聞き、現状とのギャップを埋めるように方向づけをします。できたことを褒め、やる気をかきたてる。世の中の人は「甘い」と言うだろうけど、効果的なんです。

犯罪ではなくても、たとえば戦争責任や慰安婦問題などでも、頭ごなしに謝罪を求められると反発したくなるのも同じことかもしれません。

児童虐待にもその背景があります。

暴力を受けて育つと、暴力を肯定的に考える人が多いんですよ。

虐待は世代間連鎖するといわれているが、虐待するのは多くが父親であり、父親から母親へのDVを見て育った息子に暴力が連鎖することが分かってきた。
世代間連鎖は父から息子へという男の問題だということです。

私たちは再犯をさせないために、何が必要かを考える。「何が犯罪に至らせたか」より、「何があれば再犯を防げるか」を考えるんです。「報復」か「許す」かという二者択一ではなく、「再犯防止」という観点が重要です。いたずらに謝罪するのは反省ではない。謝罪、反省というのは、人間扱いされて初めて出ることなんですよ。

「反省→更生」ではなく「更生→反省」ということなんですね。

山地悠紀夫は発達障害だったらしく、『死刑でいいです』では発達障害について書かれています。
藤川洋子さん

相手への共感性が乏しく、反省を感じにくい子には、反省よりもまず、再犯の防止を優先して更生を考えるのが重要です。私は「反省なき更生」と呼んでいます。反省は必要ですが、より大切なのは再び事件を起こさせないことです。
うまくいっているとそう事件なんか起こしません。本人が更生することは、同時に再犯防止になるわけです。まず反省させてから更生となれば、反省できない子は先へ進めなくなる。少年に罰を与えたからといって、なかなか反省できるものではありませんが、特に発達障害の子はそうです。
もともと人間は安全感を持てないと、本当の意味で反省できないと思います。「反省しろ」と言われてもできません。親の愛情を確認できたとか、「おまえのことを大事に思っている」と言われ、無視されずにいろんな人に愛されていたんだ、と感じて初めて気持ちが届く。生きていていいんだ、ここにいていいんだ、と実感できないと、反省なんか出てきません。もともと他人の気持ちが分かりにくい人には余計、きついでしょう。


「反省なき更生」ということですが、反省しなくてもいいということではなく、更生と再犯防止を優先しようということです。

英国はチャリティーの精神が発達していますから、政府もお金を出しますが、寄付も募ってたくさん資金が集まります。「貧しい者にこそ愛を」という考え方があります。「悪いことをしたんだからくたばれ。社会のごみ捨て場でみじめな人生を送れ」という発想はない。日本の場合、世間の見方はそんな感じではないでしょうか。
日本では、英国のように高原のコテージで学習を中心にして訓練を受けているような生活を見ると、怒りを覚える人が多いでしょうね。少年の更生プログラムも理解されにくいぐらいだから。少年院の料理なんか非常に低予算だけど、それでも、事件の関係者が見学すると、中には「こんないいものを食べさせているんですか」と感情的になる人もいます。


刑務所を見学した人が、「こんないいものを食べているのか」とびっくりしてましたが、私もそう感じることがあります。
エマニュエル・ベルコ『太陽のめざめ』では、主人公(たしか15歳)は少年院か児童自立支援施設のようなところに入るわけですが、少年たちはタバコを普通に吸ってて、こんなんで更生するのかと思いました。
感情では納得できないわけです。
だけど、刑務所に入った犯罪者はいつかは出てきます。

久保貴「更生保護における保護司の機能に関する一考察」(『更生保護』2017年1月)にこうあります。

犯罪をした人や非行のある少年の社会復帰を援助する更生保護は、成熟した社会には不可欠のものです。ここでいう成熟した社会とは、犯罪や非行のない社会ではなく、犯罪や非行をした人たちが再び社会に戻り、通常の社会生活を送ることができる社会です。

久保貴氏によると、犯罪をした人を社会から排除するだけでは、安全・安心な社会を維持できません。

加害者の人権ばかり守られて、被害者の人権はないがしろにされている、という意見を耳にします。
被害者の救済や支援と、加害者の更生は分けて考えないといけないと思いました。
そして、再犯しないことも償いの一つではないでしょうか。

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