三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

藤原弘達『創価学会を斬る』

2016年12月26日 | 問題のある考え

『創価学会を斬る』を書いた藤原弘達の夫人である光子さんは、『創価学会を斬る』の出版妨害に際に「あの時はダンボール箱に三箱以上の嫌がらせの投書が来ましたし、警察がうちの子供に警備をつけなくてはならないほど脅迫が相次ぎました」(「週刊新潮」2000年3月30日号)と語っています。
さらには、藤原弘達が亡くなった日、夜中じゅう、「おめでとうございます」という電話が続いたそうです。
『創価学会を斬る』の出版は1969年、藤原弘達が死んだのは1999年ですから、30年も経っているのにです。

図書館に『創価学会を斬る』があったので読んでみたら、創価学会の政治への関わりを主に問題にしており、教義についてはさほど触れられていません。

藤原弘達は創価学会の折伏についてこのように書いています。

折伏であるということで入れかわり立ちかわり押しかけてゆく。そして一種の洗脳がはじまるわけである。学会員にとっては、折伏こそ不可欠の宗教的義務であり、使命なのであるから、他人の都合など全くおかまいなしなのである。それも時には集団で押しかけるから、よほど意思強固、思想的立場のはっきりした人でないと、ズルズルと押し切られてしまうことになるようである。その際、現世利益をふりかざすのも彼等の常套手段である。


「折伏」の意味をネットで調べると、

1 仏語。悪人・悪法を打ち砕き、迷いを覚まさせること。摂受 (しょうじゅ) と共に衆生を仏法に導く手段。
2 転じて、執拗に説得して相手を自分の意見・方針に従わせること。

とあり、創価学会の折伏は二番目の意味だと、藤原弘達は考えているのでしょう。

『折伏教典』から引用しています。

個人の不幸、家庭の破滅、社会の悲劇、これらはすべて根本的には邪宗教に根源をもつ。逆にいうならば、正法を誹謗したり、正法を知らない罪により起こっているのである。

 

富士大石寺の大御本尊を拝まないものはすべて謗法である。

現在の創価学会会員は大石寺の御本尊を拝んでいないと思います。

池田大作『立正安国論講義』からの引用です。

相手のもつ邪法を打ち破り、邪見、偏見におおわれていた、清浄無染にして、力強い、尊厳極まりなき、妙法蓮華経という大生命をあらわさんがためである。これ最も相手を尊敬する行為であり、かつ生命の尊厳を基調とする民主主義の先駆をなすものではないか。しかもまた、いかなる迫害にも屈することなく一切衆生の幸福を願って忍耐強く折伏していくことは、最大の寛容ではないか。


藤原弘達の意見です。

彼等にいわせれば、折伏は慈悲の行為なのであるから、大いにそういうようにおどしあげたり、中傷することも、それぞれ慈悲の行為の変形として許されるという理屈になるのであろう。


『創価学会を斬る』の「創価学会・公明党七つの大罪」という章から、大罪を3つご紹介。
・時代錯誤(アナクロニズム)の罪

日蓮の段階で果たしえなかった一種の宗教改革をば、現代社会の条件に強引にあてはめようとする、はなはだしいアクロバット性に大きな問題があるということである。

これは日蓮原理主義ではないでしょうか。

時代錯誤と歴史性無視のマイナス面が、逆にこの宗教勢力の魅力になっている。


・他人を「ノロウ」ものの罪
他人に対する寛容性のなさを実例を挙げて批判しています。

創価学会教学部編になる『日蓮正宗創価学会批判を破す』という本の中に次のように書かれている。
「ちょっと前のことになりますが、学会の悪口をいっていた宗教学者の佐木秋夫氏がお山へ行きたいというので、戸田先生から案内するようにいわれて同行することになったのですが、出発の日に、東京駅で私が待っていたところ、佐木氏の方では、その前日でしたか『子どもが死んだから行けなくなった』というのですね。これは、ハッキリとした罰ですよ。そして帰ってきてからきいたのですが、佐木氏はイナカへ帰って、邪宗日蓮宗で葬式をだしたというのです。まるっきり、なっちゃいないですね。」(略)
 いったい創価学会は人間の死というものをなんと心得ているのであろうか。(略)創価学会を批判する人であったとはいえ、その人の子供の死を罰としてとらえ、しかもこれを当然視する態度はいったい何たることであろうか。

 

「御利益」とか「救い」というが、実は折伏そのものが、人の不幸につけこむものだと断定せざるをえない。
家族が死んだ、病気になった、破産した、クビになった、そうした不幸な人々のところにわざわざやってきて「それは邪教を信じているからだ。日蓮正宗を信じなさい」と説くわけだ。こうしたやり方にも、会員個々の主観的意図とは別に、人間性を無視した目的のためには手段を選ばないサディスティックな異常性を認めざるをえない。


・思考停止、愚民化誘導の罪

創価学会のもっている行動様式の中で、もっとも危険なものと考えられるのは、一種の盲目的服従を組織の原理にしているというところにある。

藤原弘達によると、創価学会の内部からは批判らしい批判が起こっていないそうです。
では、自民党の言いなりになって安保法制やカジノ法案などに賛成している現在の公明党に対する創価学会会員の批判はあるのでしょうか。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 佐々木閑『「律」に学ぶ生き... | トップ | 2016年キネマ旬報ベスト... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

問題のある考え」カテゴリの最新記事