「同朋新聞」を読むと、アイヌや沖縄の文化・宗教には現代日本が失ったものがあるみたいな感じで書かれた文章を散見し、アニミズムや祖霊信仰をそんなに持ち上げてどうするのか、と偏狭な私は思っています。
そしたら、「真風」第18号に田原大興「沖縄の習俗とのはざまで」という文章があり、大変興味深かったです。
ユタと呼ばれる霊能者は運勢・風水・病気・位牌や墓について判断や助言をしたり、呪術・祭祀を司ったりしているが、霊魂への対応でしばしば親戚関係や地域社会を混乱に陥れることもある。
日本の伝統仏教は、葬式仏教への受容が高まり、同時に土着・民間信仰との関係も深まり、ユタの商売敵のような存在になった。
仏教者の沖縄の民間信仰への対応は、肯定派、もしくは妥協・受容派が主流のようだ。
沖縄の一般家庭の仏壇には本尊がなく、祖先の位牌と香炉が祀られている。
位牌に関する問題が多く、位牌相続者の継ぎ方が悪い、法事を欠いたので供養ができていないなどと周囲から攻撃される。
法事では、沖縄伝統の重箱料理やお菓子といったお供え物の数や並べ方、その向きなどについて親族間でしばしばもめる。
あの世のお金を燃やすのだが、燃やす枚数でも意見が割れたりする。
「何枚ですか」と聞かれ、「好きなだけどうぞ」と応えたため、老年の女性に叱責を頂戴したこともある。
三部経を読んでいたら、「もういいよ」と肩を叩かれて強制終了したこともある。
墓に納骨する際に禁忌が多い。
特定の干支の人は骨壺を持ったり、墓に入ったりできないとか、線香の数が決まっているとか、重箱料理はすべて食べないといけないなど。
墓を新たに建立すると、完成のお祝いと納骨を盛大に行うのだが、日時がなかなか決まらない。
干支がよくない、日がよくない、汐が悪いと、完成しても数か月、時には数年間も納骨できないこともある。
へえーと思いましたが、迷信や禁忌に振り回されるのは沖縄だけではなく、どこでもある問題です。
田原大興氏は、迷信に則った行為を見かけたので、「いつからですか」と訊くと、「十年ほど前から」ということがあったと書いています。
私は若いころ、迷信はだんだんとすたれていくと思っていましたが、新しい迷信や禁忌は次々と生まれ(誰が作るのか)、気にする人は次々と気にします。
沖縄では仏教よりもキリスト教のほうが優勢だと「真風」にありますが、沖縄のキリスト教徒も同じようにしきたりにこだわっているのでしょうか。
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