三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

響野湾子

2022年09月19日 | 死刑

「年報・死刑廃止2013年 極限の表現 死刑囚が描く」を知人から借りました。
特集は死刑囚が死刑囚表現展に応募した文芸作品や絵画についてです。
池田浩士選「響野湾子詩歌句作品集」には心惹かれる歌がたくさんありました。
以下、無断引用です。

2006年
土壇場の明日あるかも知れぬ夜に命いとひて風邪薬飲む

2007年
刑死まで一度は見たし区切り無い月に太陽満天の星空

2009年
あの青き空を切り取り独房の暗きに貼りて置きたしと思ふ
神様・神様・神様僕はなぜ殺人者なぞになったんだろう
刑死者の住まひし部屋を半年余空房にしてまた人の住みをり
我が刑死待ちて望みし人ありて慎める事慎みて生く
定年の看守は死囚の我れの手を狭き食器孔より握りて去れり
死囚の我に規制設けて来し手紙出所時交付と告げられにけり
贖罪てふ都合のいと良き言葉あり馴々しげな甘き言葉よ
最後かも知れない夜に抱かれて「人」に逢ひたし「人」に逢ひたし
この星の裏側にある大地には違ふわたしが居そうな気がする
あれ程に忌嫌しが恋しがり満員電車の人・人・人波
一条の煙りとなりて去る時はわずかばかりの雨降ればよし
獄中に三千余人住みしてふ我れに一人の話し相手無けれど

2010年
獄中に内職を得て折る紙袋(ふくろ)世の買物に使われるは嬉し
独房に月の駱駝を隠しいて旅する時を静かに待ちをり
硝子より脆き心を隠し持ち生きねばならぬ処殺来るまで
ゆくあての無き鬼もゐて鬼は外
天の川漕ぎ去る人の背の淋し

2011年
万余もの亡くなりし震災を天罰とのたまふ知事は死刑存置者
忘却を望み生きれと染み付きし殺人者の血身に流れけむ
交流のとぼしき我を気づかひて「巨人負けたぞ」と語り来る看守
綺麗事の精神論で刑を説く看守は我の瞳(め)を見ずに説く
若き日の我れの夢なぞ聞きに来る看守も居りてなごむ日のあり
我が帰り疑ひ持たず母はまだ古き背広を取りてあるらし
山川が幾重にあれど赦されば歩きても帰らむ古里という地に
「殺される」事の無き日の元旦に初湯をもらふすみずみまで洗ふ
ほぼ歩くことの無き日の牢獄に足裏の皮はうすくなりけり

2012年
看守の瞳(め)盗みて独房(へや)に持ち込みぬ鉢の土塊ひと日嗅ぎをり
思ひ切り放れるボール一つ欲し夢書きつらぬ獄外(そと)に放らぬ
我が刑を忘すれし母の認知症神の救くひと思ひて会ひをり
生きし事の全て厭わし時ありて遺書なぐり書く独房(へや)の暗きに
覚悟らしき思ひはあれど刑のあれば夕食の手の箸の震へり
「穀潰し」「人非人」よと罵りぬ定年で去りし刑吏も懐つかし
我に来る死の訪ずれ取り置きぬ肌の通さぬ下着一式
悟り得し顔して受けむ教誨の時こそ湧けり雑念と未練

響野湾子こと庄子幸一死刑囚は2019年8月2日に執行されました。
64歳でした。
今年、『響野湾子俳句集: 千年の鯨の泪櫻貝』が出版されています。
https://www.hanmoto.com/bd/isbn/9784434304088

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